西大寺 (奈良市)

Keywords: 西大寺 (奈良市), 1895年, 1998年, 光明皇后, 南都七大寺, 嘉禎, 四天王, 大和郡山市, 天平宝字, 天平神護

西大寺(さいだいじ)は、奈良県奈良市西大寺芝町にある、真言律宗総本山の寺院。奈良時代に称徳天皇の発願により、僧・常騰(じょうとう)を開山(初代住職)として建立された。南都七大寺の1つとして奈良時代には壮大な伽藍を誇ったが、平安時代に一時衰退し、鎌倉時代に興正菩薩叡尊(こうしょうぼさつえいそん)によって復興された。山号を勝宝山と称する(ただし、奈良時代の寺院には山号はなく、後になって付けられたものである)。現在の本尊は釈迦如来である。

目次

起源と歴史

西大寺は、称徳天皇の勅願により天平神護元年(765年)に創建された寺院である。創建には、その前年に発生した恵美押勝の乱が関係している。8世紀中葉、当時の政権の実力者であった藤原仲麻呂(恵美押勝)は、伯母に当たる光明皇太后の信任を得て権勢をほしいままにしていたが、天平宝字4年(760年)の同皇太后没後は彼の権勢にもかげりが見え始めた。この当時の帝は仲麻呂が後見する淳仁天皇であったが、国家の実権は光明皇太后の娘にあたる孝謙上皇(女帝)が握っていた。孝謙上皇は、当時「怪僧」と言われた道鏡を重用し、仲麻呂を政権から遠ざけたことにより、淳仁天皇と不和に陥っていた。自己の立場が危ないと見た仲麻呂は反乱を企て兵を準備するが、事前に露見し、孝謙上皇に追討されて天平宝字8 年(764年)没した。世に言う恵美押勝の乱である。孝謙上皇は淳仁天皇を廃位させ、再び即位した(称徳天皇)。

この恵美押勝の乱平定を祈願して称徳天皇(孝謙上皇)が造立した金銅四天王像を安置するために創建されたのが西大寺であった。この四天王像は西大寺四王堂に今も安置されるが、各像が足元に踏みつける邪鬼だけが創建当時のもので、像本体は後世の補作である。

「西大寺」の寺名は言うまでもなく、大仏で有名な「東大寺」に対するもので、創建時は薬師金堂、弥勒金堂、四王堂、十一面堂、東西の五重塔などが立ち並ぶ壮大な伽藍を持ち、南都七大寺の1つに数えられる大寺院であった。しかし、平安時代に入って衰退し、火災や台風で多くの堂塔が失われ、寺は興福寺の支配下に入っていた。

西大寺の中興の祖となったのは鎌倉時代の僧・叡尊(興正菩薩、1201-1290)である。叡尊は建仁元年(1201年)、大和国添上郡(現・大和郡山市)に生まれた。11歳の時から醍醐寺高野山などで修行し、文暦2年(1235年)、35歳の時に初めて西大寺に住した。その後一時海龍王寺(奈良市法華寺町)に住した後、嘉禎4年(1238年)西大寺に戻り、90歳で没するまで50年以上、荒廃していた西大寺の復興に尽くした。叡尊は、当時の日本仏教の腐敗・堕落した状況を憂い、戒律の復興に努めた。また、貧者、病者などの救済に奔走し、今日で言う社会福祉事業にも力を尽くした。西大寺に現存する仏像、工芸品などには本尊釈迦如来像をはじめ、叡尊の時代に制作されたものが多い。

西大寺は室町時代の文亀2年(1502年)の火災で大きな被害を受け、現在の伽藍はすべて江戸時代以降の再建である。なお、西大寺は1895年(明治28年)に真言宗から独立し、真言律宗を名乗っている。末寺には、京都・浄瑠璃寺、奈良・海龍王寺、神奈川(鎌倉)・極楽寺などがある。

伽藍と仏像

境内には本堂、愛染堂、四王堂、聚宝館(宝物館)などが建つ。本堂前には東塔跡の礎石が残る。

文化財

年中行事

大茶盛-毎年1・4・10月に行われる。直径30センチ以上、重さ6~7キロの大茶碗と長さ35センチの茶筅でお茶を立て、参拝客にふるまわれる。叡尊が西大寺の鎮守八幡宮に茶を奉納し、お下がりの茶を参詣人にふるまったのが起源とされる。

Keywords: 西大寺 (奈良市), 1895年, 1998年, 光明皇后, 南都七大寺, 嘉禎, 四天王, 大和郡山市, 天平宝字, 天平神護