紅白歌合戦
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NHK紅白歌合戦(エヌ エイチ ケイ こうはくうたがっせん)は、NHKが第三回以後、毎年12月31日の夜に、東京・渋谷のNHKホールから放送する音楽番組。その年を代表するアーティストが女性は紅組、男性は白組に分かれて対抗形式で歌や演奏を披露する(男女混合グループの場合は男女の人数に関わらずメインボーカルを優先。例えばELTは紅組というように。戸籍上男性なのに「心は女だから紅組に入れてよ」と言う主張は当然認められない)。通称「紅白」。
放送時間は、原則として、【第1部】19:30-21:20、【第2部】21:30-23:45(いずれもJST)。
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概説
- 放送は、NHKの総合テレビ、デジタル総合テレビ、デジタル衛星第2テレビ、デジタル衛星ハイビジョン、ラジオ第一放送で行われる。
- デジタル総合テレビ、デジタル衛星第2テレビ、デジタル衛星ハイビジョンでは5.1サラウンドステレオでNHKホールの臨場感を楽しめる。
- ラジオ中継は、ステージ上の司会者よりも会場の熱気を実況する中継アナウンサーがメインである。
- 【第1部】と【第2部】の間の10分間は、その年の最後のNHKニュースを放送する。(デジタル衛星ハイビジョンは別番組)
- 毎年、テレビ視聴率が非常に高いことで知られている。最高視聴率は1963年の81.3%。最低視聴率は2004年の39.3%。
- 過去の対戦成績は紅組28勝27敗。
- 番組のフィナーレは、出演者全員で蛍の光を歌う。
来歴
黎明期
- 第1回は1951年1月3日に放送された。この時はラジオ放送のみだった。初回放送時は現在の「紅白歌合戦」というタイトルではなく、「紅白音楽試合」であった。これは、当時政権を握っていたGHQが「合戦」などといった言葉を使用することを許可しなかった為である。
- 当初は1回だけの放送のつもりだったが余りの好評から翌1952年以降も継続して開催されるようになる。1953年の第3回では、テレビでの実験放送が実施された。この年の12月31日に第4回が放送され、以降、大晦日の放送が定着した。また、この第4回から会場に観客を入れての公開放送となった。
- 当初は内幸町にあった旧NHK放送会館、東京宝塚劇場や有楽町・産経ホールなど会場を転々としていたが、1973年以降は渋谷・NHKホールに固定されて今日に至る。
最盛期
- 1973年にかぐや姫の「神田川」の歌詞に出てくる「クレパス」を変えさせようとしてかぐや姫が出場辞退するなど、NHKの謳う「公正中立」の杓子定規的な適用による歌詞改変事件が起こっている(ただし、2000年のaikoの場合、「ボーイフレンド」の歌詞に「テトラポッド」という商標が含まれていたものの改変されなかった)。←改変されなかったのは歌詞では「テトラポット」となっていたため。
- 1984年には、都はるみが紅白のステージを最後に引退(後に復活)。最後には、代表曲「アンコ椿は恋の花」が歌われた。また、総合司会の生方恵一が「美空(美空ひばり)・・・都はるみさん」と言ってしまって週刊誌にひどく叩かれ翌年、NHKを退職する。大物歌手Hが「歌詞まちがえちゃいました~」と2回言う。
- 1985年、森昌子が初司会&トリ。トリでは緊張と紅組メンバーや白組司会の鈴木健二に励まされ、大泣き。涙で歌詞が詰まるという事態に。最後には、森進一に抱きかかえられて話題をさらった。二人は、翌年の10月1日に結婚する。白組のトップバッター・吉川晃司は歌が終わっても、ステージに残り演奏を続け次の河合奈保子の登場を遮ってしまう。なお、吉川はその後河合に直接謝ったとのこと。しかし、吉川は2002年のNHKドラマ「真夜中は別の顔」に出演するまでNHK出入り禁止になった。
- 1986年の白組司会、加山雄三はトップバッターの少年隊『仮面舞踏会』を誤って「少年隊で『仮面ライダー』」と紹介してしまう。結婚で歌手休業中の松田聖子が約1年振りに復活。
- 1989年からは放送時間、出場歌手も大幅に拡大され、名実ともにその年の音楽シーンを彩った歌手たちの祭典となった。年末の風物詩として定着し、アーティストにとってもこれに出場できることは大きな名誉であるとされるようになった。
- また、この年から日本レコード大賞とのバッティングが生じ、アーティストの奪い合いや掛け持ちによる大移動などの問題が生じた。
- 安室奈美恵が1997年の紅白で当時の最年少の大トリを飾る。1998年の1年間の結婚&産休を挟んでこの年の紅白で涙のカムバックを果たし歌を終えた後、MAXのメンバーに慰められた。曲は共に「CAN YOU CELEBRATE?」だった。
近年の状況
- 21世紀の現状は視聴率も減少気味であり、特に若年層や都市住民の紅白離れが甚だしい。また、歌手が紅白の出場依頼を断る例も多発しており、歌手が紅白を「名誉」ととらえる時代は過去のものとなったことがわかる。断られた具体例として、スピッツ、モンゴル800、井上陽水、桑田佳祐、宇多田ヒカル、松任谷由実等が挙げられる。
- KRY山口放送(日テレ系)の自社製作の夕方情報番組「熱血テレビ」にて、地元出身の山本譲二が紅白の歌い終わりにするポーズを決めるのが恒例になっている。2004年は山本譲二の多忙により出演できず番組内では決められなかった
- NHKもこれらのことはよく認識しており、近年は色々な手をうっているが、効果は現れていない。NHKの方針か、近年は海外アーティストの招致にも積極的で、アジア・南米からも出場者が現れた。
- 昔は出場を断ることが大変なニュースになっていたのだが、現在は出演を断ることがかっこいいと思っている人もいる。
- 近年は小林幸子と美川憲一の豪華衣装対決に注目が集まりがちである。
- 初出場者が記者会見するのが恒例となっていて、その様子は民間放送でも報じられる。
- 舞台袖の通路は放送終了後にアーティストが大挙するため、正月明けのワイドショーの格好のネタとなる。また、この通路は和田アキ子が翌年の干支の被り物をして通ることでも有名である。
- この番組への出演は翌年初頭のアーティストのCD売り上げに多大な影響を与える。この現象は俗に「紅白効果」と呼ばれている。
1997年(第48回)
- 司会者
- 大トリは、五木ひろしの「千曲川」。
- 優勝は白組。
1998年(第49回)
- 司会者
- 白組:中居正広
- 紅組:久保純子アナウンサー(当時)
- 総合司会:宮本隆治アナウンサー
- ラジオ中継:水谷彰宏アナウンサー
- 安室奈美恵、産休を終え、1年ぶりのカムバック。2年連続で「CAN YOU CELEBRATE?」を歌う。安室が感涙に浸るシーンもあった。安室登場時の最高視聴率は64.3%。
- 大トリは、和田アキ子の「今 あなたにうたいたい」。この時、和田が曲の一部を、マイクを使わずに歌った。
- 優勝は紅組
- 視聴率は57.2%。紅白が2部制になって最高視聴率を記録。
1999年(第50回)
- 司会者
- 白組:中村勘九郎
- 紅組:久保純子アナウンサー(当時)
- 総合司会:宮本隆治アナウンサー
- ラジオ中継:水谷彰宏アナウンサー
- この年、当時の史上最多の観覧応募総数59万8753通(約208倍)の中から約3000人が生で見守った。
- 大トリは、北島三郎の「まつり」。
- 審査員審査では、6-5で紅組がリードしたが、客席審査で、白組が逆転し、6-7で白組の逆転優勝。白組が勝利した直後、その年の大河ドラマの元禄繚乱にちなみ赤穂浪士の格好をした野猿他白組メンバーが中村勘九郎を胴上げした
- 終了後、出演者とNHKホールの観客が、年越しのカウントダウンを行った。
- 視聴率は50.1%。
2000年(第51回)
- 司会者
- 20世紀最後の紅白は、初めてBSデジタルハイビジョンでも放送。
- 長嶋茂雄(当時巨人軍監督)、高橋尚子、田村亮子(現・谷亮子)がゲスト。開会宣言も行った。
- 大トリは、五木ひろしの「山河」。
- 優勝は紅組。
- 視聴率は48.4%。初めて50%を割る。
2001年(第52回)
- 司会者
- 21世紀最初の紅白は、世界初、生娯楽番組でのリアルタイム字幕放送として放送。
- 大トリは、北島三郎の「山」。
- 優勝は白組。
2002年(第53回)
- 司会者
- 白組:阿部渉アナウンサー
- 紅組:有働由美子アナウンサー
- 総合司会:三宅民夫アナウンサー
- ラジオ中継:小野文惠アナウンサー、高市佳明アナウンサー
- 2002年の紅白は、演奏の三原綱木とザ・ニューブリード、東京放送管弦楽団が久しぶりに表舞台に。
- この年から、BSデジタルハイビジョン視聴者によるお茶の間投票が開始された。
- ザ・ドリフターズが、「思い出のメロディー」に続き出場。
- 普段テレビに出ない中島みゆきが黒部ダムの地下発電所から中継で出演して『地上の星』を歌い、この部分が最高瞬間視聴率となる。
- 大トリは、五木ひろしの「おふくろの子守歌」。
- 優勝は紅組。
2003年(第54回)
- 司会者
- 白組:阿部渉、高山哲哉両アナウンサー
- 紅組:有働由美子、膳場貴子両アナウンサー
- 総合司会:武内陶子アナウンサー
- ラジオ中継:小野文惠アナウンサー、藤崎弘士アナウンサー
- この年は、紅組・白組の垣根を越えたアーティストの競演があった。(錦織健と女子十二楽坊、「涙そうそう」をブレイクさせた夏川りみ、作詞の森山良子、作曲のBEGIN。森山は長男・森山直太朗と曲紹介時に)
- この年はTBSが「K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!」(ナゴヤドーム)を、フジテレビが「PRIDE SPECIAL 男祭り2003」(さいたまスーパーアリーナ)を、日本テレビが「イノキ・ボンバイエ 2003 馬鹿になれ 夢をもて」(神戸ウイングスタジアム)を放送して、三つ巴の格闘技興行戦争が勃発した。紅白歌合戦1部の真裏に放送された。PRIDE SPECIAL 男祭りは、平均17.2%と健闘全体でも12%と健闘し、ボブサップVS曙戦時のDynamite!!の瞬間視聴率は、調査開始以来初めて紅白を上回った。そのあおりを食ったためか、紅白は翌2004年2月11日に総合テレビで再放送されている。
- この回も2003年を代表する各界の芸能人&スポーツ人等が審査委員として登場。特に、阪神タイガースを18年ぶりの優勝に導いた星野仙一が紹介されると大歓声が上がった。また、アメリカ・メジャーリーグのニューヨーク・ヤンキースに移籍し、チームの4番打者としてワールドシリーズ出場を果たした松井秀喜とその父親の松井昌雄の自宅中継もあった。
- 2003年は、白組が紅組に15-0で圧勝した。また、グループとして初のトリとしてSMAPが大トリを務め、「世界に一つだけの花」を熱唱して、勝利に貢献した。
2004年(第55回)
- 司会者等について
- 白組:「お昼ですよ!ふれあいホール」「NHK歌謡コンサート」の、阿部渉アナウンサー(4年連続)
- 紅組:「ためしてガッテン」「土曜スタジオパーク」「鶴瓶の家族に乾杯」の、小野文惠アナウンサー(初)
- 総合司会:「サタデー&サンデースポーツ」&「難問解決!ご近所の底力」の堀尾正明アナウンサー(初)
- ラジオ中継:「爆笑オンエアバトル」4代目司会の、藤崎弘士アナウンサー(2年連続)と、「BS思い出のポップス」や「地球ふしぎ大自然」(ナレーション)などで活躍の、住吉美紀アナウンサー(初)
- NHKアナウンサーの登場はそのほかにゆずの「栄光の架橋」の曲紹介の時はアテネオリンピックで体操男子の実況を担当した刈屋富士雄アナが日本体操男子代表選手とともに登場した。
- 史上最低視聴率
- この年、紅白は、当時の海老沢勝二会長が「最高のものにしてみせる」「視聴率は80%をこえる」旨の発言をしたにも拘らず、テレビ視聴率が史上初めて40%を割った(第1部30.3%、第2部39.3%)。史上最低視聴率を記録。その要因について、以下、分析する。
- <目玉不足>
- 全体的に小粒な人選になってしまった。せっかく行った史上初の「出場歌手希望世論調査公表」もむなしいものとなった。出場すれば目玉となったサザンオールスターズ、Mr.Children、宇多田ヒカルなどにまたも「逃げられ」、柴咲コウ、松田聖子も辞退。おまけに昨年の大トリ、SMAPもシングルリリースがないことを理由に出場を辞退してしまった。出場歌手には、数曲しかヒットが無いのに出場している歌手(1曲だけの人も)いる。
- 超大物ゲストとして、2004年に活躍した、大韓民国俳優のペ・ヨンジュンと、プロ野球選手のイチローを呼ぼうとしたが、断られる。
- 番組別視聴率こそ終始トップを記録し、面目を守ったものの、歌手別視聴率で50%を超える歌手は現れず、また瞬間最高視聴率を記録したシーンが結果発表のシーンとなるなど、目玉不在の印象は否めなかった。
- <不祥事と不測の事態>
- 2004年は、NHKの芸能担当プロデューサー(紅白にも携わっていた)が、制作費不正流用疑惑で逮捕され、NHKと大手芸能事務所の癒着など暗部が暴かれ、NHKを支えていた大きなキーワード「国民の安心と信頼」が完全に瓦解した。
- さらに、初出場を予定していたハロープロジェクトのユニット「後浦なつみ」のメンバーである安倍なつみが、自作の詩の盗作問題により出場を辞退してしまったため、後藤真希&松浦亜弥という間に合わせのユニットとして出場するという事態になった。
- 同じく初出場の氣志團も、メンバーの「星グランマニエ」が体調不良の為1人足りない5人での参加となった。
- 派手な衣装で知られる小林幸子は、同年10月23日に発生した新潟県中越地震の影響も配慮し、派手な衣装を封印し、原点に立ち返って出身地・新潟を舞台とした楽曲『雪椿』を全出演者の最後に歌唱する大トリとして歌唱した。
- 応援にかけつけた波田陽区がリハーサルと違うネタを披露した。そして、「でも赤が勝つか白が勝つかなんてみんな興味ありませんから!残念!!」「みんな格闘技の結果に夢中・・斬り!!」といった。
- <民放の脅威>
- 裏番組は前年よりも強力となった。
- TBSは午後9時より、「K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!」を大阪ドームから、フジテレビも午後6時より、「PRIDE男祭り2004~SADAME~」をさいたまスーパーアリーナから、それぞれ中継放送した。
- 「K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!」の平均視聴率は20.1%と紅白の裏番組で初めて20%を突破する快挙を達成。また、フジテレビの「PRIDE男祭り2004~SADAME~」も18.3%と前年比から1%上げ、全体でも14%と好成績を残した。
- 日本テレビは「2004年の視聴率女王」と称された細木数子を裏番組に立て、「細木数子の大晦日スペシャル!!」(14.4%)を放送、これも紅白第1部の視聴率に影響を及ぼした。
- 結果
- 2004年は、紅組が8-5で快勝という結果となった。
- 再放送
- 前年(2003年)に続き、2005年2月11日(16:55~18:45、19:30~21:45)に再放送が行われた。これにより、テレビ朝日は「ミュージックステーション」の放送延期を余儀なくされた。その代替番組として、「笑いの金メダル」の特番を放送した。
審査方法
勝敗は、審査員、地上・BSデジタル放送の双方向システム(電話回線使用)による一般審査員などの投票で決定する。
- 1981年からは、客席審査員として会場の観客全員も審査を開始。観客が優勢と判断した色を団扇で示し、双眼鏡を持った日本野鳥の会が数える風景は恒例となった。
- 1981年から1985年と1992年は日本野鳥の会が、1993年から2002年は麻布大学野鳥研究部が数えた。
- 2002年、一部の客席審査員はボールを使って投票した。これが好評だったため、2003年は全ての客席審査員がボールを使った投票になった。これはNHK総合テレビの人気番組「オンエアバトル」の方式に倣ったもの。
- 2002年からBSデジタル放送の双方向機能を利用したお茶の間審査委員による採点も反映されるようになった。(2003年からは地上デジタル放送も対象に)紅組ならリモコンの赤ボタンを白組ならリモコンの青ボタンで選択する。
- 2003年の決め方は審査員の11名が1人1個ずつボールを持っていて全アーティスト終了後に優勢と思う方にボールを入れる。そしてNHKホールの一般のお客様には「オンエアバトル」でお馴染みのボール投入システムでより多くのキロバトル数/KBをあげた方にボールが2個追加。更に全国からもBSデジタルハイビジョンまたは地上デジタル放送の双方向でご覧の「紅白 デジタルお茶の間審査委員」の方々から全部で3・4回程の審査をして最終的により多くのポイントを獲得できれば更に2個追加。つまり全部でボールの数は15個の奇数だから引分け無しの完全決着。ボールを観客に投げながらカウントしていきより多くのボールを獲得すれば優勝となる。(2004年は審査員人数分のボール11個と「紅白 デジタルお茶の間審査委員」の優勢組の追加ボール2個の計13個となった。)
- 2004年は、全国BSデジタルハイビジョンまたは地上デジタル放送による「デジタルお茶の間審査委員」の結果による勝者に2票あたえられ、審査員10名およびNHKからの審査員長の計11名分の票の合計による13票によって争われた。1981年から実に24年連続に渡って行われてきた客席審査は行われなかった。
各年の出場者・曲目
各年の音楽を参照。
外部リンク
- NHK紅白歌合戦(公式。冬季)
- 第55回NHK紅白歌合戦チャリティFAX
- 紅白歌合戦情報 - リンク集など
- 紅白歌合戦完全マニュアル - 視聴率など。
