現代音楽
Keywords: 現代音楽, 18世紀, 1944年, 1945年, 1947年, 1957年, 1960年, 1960年代, 1964年
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現代音楽(げんだいおんがく Contemporary music)は、西洋クラシック音楽の流れにあり20世紀後半以降現在に至る音楽を指す。ただし他の時代の西洋音楽史の区分のように、様式によって区分されたものではない。現代音楽は、19世紀の西洋クラシック音楽(にみられた/で多用されていた)平均律やソナタ形式などの音楽様式を否定した前衛的な音楽を指すことが多い。
20世紀以降のクラシック音楽は、時代的に見て大まかに近代音楽と現代音楽に分けられる。近代音楽と現代音楽の境界をどこにもうけるか、統一的な見解はない。場合によっては近代音楽と現代音楽の区分を設けず20世紀初頭からのクラシック音楽の流れを現代音楽と捉える考え方もある。しかし一般的には第二次世界大戦をもって近代音楽との境界とし、戦後を現代音楽として取り扱うことが多い。(ただし、戦前でも新ウィーン楽派、バルトーク、ヴァレーズ、アイヴズなど一部の先鋭的な作曲家や潮流は現代音楽に含む意見もあり、更にブーレーズのようにドビッシ-の「牧神に午後への前奏曲」をもって現代音楽は始まったと言う人もいる。)
本稿では、特に記述すべき事項のみ戦前も扱うが基本的には戦後からの記述とし、19世紀末あるいは20世紀初頭から1945年までの事項については近代音楽の項に譲ることとする。
本稿で取り扱う第二次世界大戦後の音楽は、一般に1960年代末ごろまでが「前衛の時代」とされる。この時代は、戦前においては最も前衛的な語法とされていた十二音音楽が多くの作曲家によって取り上げられるようになり、またその十二音音楽の理論をさらに発展させたトータル・セリエリズム(セリ・アンテグラル)、電子的な発音技術を取り入れた電子音楽や録音技術によるミュジーク・コンクレート、サイコロやくじなどランダムな現象を取り入れ、あらかじめ決定された意思としての音楽を否定した偶然性の音楽、音域の密集したたくさんの音を塊のように同時に鳴らすトーン・クラスター、わずかな音形を執拗に繰り返しながら徐々にその形を変えるミニマル・ミュージックなど、それまでの音楽史の諸様式の範疇を大きく塗り替えるさまざまな音楽が登場した。
1970年代(一説には1968年)以降のいわゆる「前衛の停滞期」以降は、調性感および音楽が喚起させる感情の復権を目指した新ロマン主義や新しい単純性など、過去の音楽への回帰をめざすマニエリスムと呼ばれる風潮が強まった。しかしさらにそれへの反動として西ヨーロッパを中心に、聴き手により複雑な事象の認識を要求させる新しい複雑性やポスト構造主義、音波を科学的に分析して音楽に応用するスペクトル楽派など、エクスペリメンタリズムの音楽と呼ばれる前衛的な作曲傾向も見られる。
このように様式は様々であるが、それまでのクラシック音楽の常識であった調性(協和音)的な音響や規則的なリズムなど、一般に認知されている音楽言語から大きく逸脱したものが多い(ただしマニエリスムの音楽はその逸脱からの帰還を目指している)。そのため一般的なイメージとして「聞きにくい」「わけがわからない」などネガティブなものが多く、好んでこれらの音楽を聴く層はある程度限られる。しかし、芸術や人文科学の進歩としての活動、文化教育的な活動として、周辺芸術や人文科学関係(哲学など)に関わる芸術家、学者、また愛好家たちを中心に、新たな音楽を求める活動を支持する厚い層が存在する。演奏家や演奏団体も、自分たちの演奏表現として新たな音楽の発信に関わりたいという考えから進んで現代音楽を取り上げる奏者も多い。また各国の文化政府や、芸術を支援する財団、あるいは公共放送局などからの保護と育成も受けており、作曲家たちの活動を支えている。作曲家たちもまた、それらの知性の積み重ねと進歩に対して自らの新しいメッセージを付加すべく新たな音楽を開拓し発信していくことで、それらの文化的あるいは経済的な支援や聴衆の期待に応えている。聴衆の期待に応えるということは決して聴衆の好みに合わせて作風を曲げたり必要以上に判り易過ぎる音楽を作るということではなく、作曲を通しての知性への問題提起という行為によって果たされるのである。
現代音楽という言葉が一般的に指し示す範疇にとらわれない、ポップやジャズ、ロックなど現代における音楽全般については、現代の音楽の項を参照のこと。(隣接他分野の音楽については後述)
| 目次 |
概論(ヨーロッパ編)
ドイツ
ヨーロッパの現代音楽の方向性を決定付けた功績としては、戦前より開始されたドイツのドナウエッシンゲン音楽祭や戦後の現在は隔年開催のダルムシュタット夏季現代音楽講習会「大ダルムシュタット」の役割が大きい。初期にはピエール・ブーレーズ(ブレーズ)、カールハインツ・シュトックハウゼン、ルイジ・ノーノ、ルチアーノ・ベリオなどがここで活躍し、前衛的な音楽の探求を試みた。後にはジョン・ケージやジェルジ・リゲティ、ヤニス・クセナキスなど異なる流派の作曲家も参加し、ケージの偶然性などがヨーロッパに輸入された。なお後年にはヘルムート・ラッヘンマンやブライアン・ファーニホゥなど、シュットットガルト音楽大学やフライブルク音楽大学を中心とした次世代の作曲家らが講師陣をつとめ、ポスト構造主義や新しい複雑性など新たな潮流を紹介した。前者をシュトットガルト楽派、後者をフライブルク楽派とも呼ばれた。現在はヴォルフガング・リームをはじめとする新ロマン主義の作曲家、さらに若い世代で細川俊夫、イザベル・ムンドリー、レベッカ・サンダース等が招かれているほか、サルヴァトーレ・シャリーノやトリスタン・ミュライユなどドイツ及びドイツ系以外の外国勢の招聘も盛んである。またこれとは別の主宰で毎年4月上旬に開かれる一週間ほどの規模の小さい俗に「小ダルムシュタット」と呼ばれる講習会兼音楽祭もあるが、傾向は似ている。
ドイツではダルムシュタットの他にドナウエッシンゲン音楽祭も重要な作曲家の声の発信地として挙げられる。歴史は戦前からでこちらの方が古く、初期には新ウィーン楽派・パウル・ヒンデミットやイゴール・ストラヴィンスキー、ダリウス・ミヨー、オリヴィエ・メシアン、ジョン・ケージらがここで新作を初演している。組織は別だが取り上げられる作曲家の傾向はほぼ同一楽壇内で連動していると見て良い。最近統合してバーデン・バーデンからシュトットガルトに会長職を移した南西ドイツ放送(SWR)の主催で、放送(海外放送局への録音配布も含む)および録音の販売によりその活動は世界的に知られ、バーデン・バーデン、シュトットガルトそしてカイザースラウテンにドイツ最多の3つの放送交響楽団と一つの現代音楽専門の放送合唱団、更に一つのビッグ・バンドを併せ持つ。
ドイツ語圏
ドイツ現代音楽の潮流は、広義としてはドイツおよびオーストリア、スイスのドイツ語圏を含むと考えて良い。
スイス出身の作曲家としては、まずクラウス・フーバーやハインツ・ホリガー(オーボエ奏者で指揮者でもある)が挙げられる。彼らはドイツのフライブルクで教職を勤め、前者は前述のブライアン・ファーニホゥや細川俊夫を教えた。
ウィーンでは戦前の新ウィーン楽派の偉大な功績がまず挙げられるが、より現在に近い事項では、ポーランド人作曲家のローマン・ハウベンシュトック・ラマティが名教師としてウィーン音楽院で多くの作曲家を育てた。中でもその弟子でスイス出身のベアト・フラーは、優秀な現代音楽アンサンブル、クラングフォーラム・ウィーンを結成し、ウィーンを中心に新たな潮流を生み出している。同じくスイス出身でフランス語圏のミカエル・ジャレルも、現在ウィーン音楽院で教鞭を取っている。また現代音楽祭としてウィーン・モデルンなどがある。
ザルツブルクでは、ポーランドから移住したボグスワフ・シェッフェルがモーツアルテウム音楽院で教えた。退官後はシュヴァツで夏期講習を開催し、多くの弟子を輩出している。
一方、東西分断時代に共産圏であった東ドイツでは、西側とはまったく異なる作曲活動を余儀なくされた。ドレスデンで活躍した作曲家および指揮者のヘルベルト・ケーゲルは東西ドイツ統一後に自殺したが、一説では、社会主義の終焉に絶望したためとも言われている。
フランス
フランスでは、まず戦後よりオリヴィエ・メシアンがパリ音楽院で教鞭をとり、多くの作曲家を育成した。その弟子の一人であり現代音楽の最重要作曲家の一人であるピエール・ブーレーズは現代音楽アンサンブル、ドメーヌ・ミュジカルを組織し、その演奏会などによる前衛音楽の紹介活動が多く行われた。後にはIRCAM所属のアンサンブル・アンテルコンタンポランによって同種の活動が行われるようになる。この道程は決して平坦ではなく、「メシアン門下になることは少数派につくことを意味した」というブーレーズの発言に見られるように、戦争直後のフランスから前衛を生み出す土壌はあまりにも貧弱であった。当のメシアンが作曲科の教授に迎えられたのは1960年であり、それまでは別の科を渡り歩いていなければならなかった。
そしてまたブーレーズが初代所長を務めた電子音響音楽研究施設IRCAM(イルカム、1976年より)を中心として、ジェラール・グリゼーやトリスタン・ミュライユをはじめとするスペクトル楽派と呼ばれる作曲家が、電子音響あるいは音響学的な分析を応用した作曲活動を行っている。スペクトル楽派の影響はフランスという一つの国籍に縛られず、むしろIRCAMで学んだ多国籍の作曲家に影響を与えている。
詳しくはスペクトル楽派の項を参照。
スペクトル楽派に与せぬ作曲家は、大家世代はともかくとして現在では非常に稀であるが、ヤニス・クセナキスがUPICを開発したCEMAMu(スマミュ、現在の名称はCCMIX)や、ラジオフランスのINA-GRM(イナグラム)で活動する作曲家の一部は、スペクトル音楽とは別の方向性を探っている。代表的な作曲家にリュック・フェラーリ(またはフェラリ)などがいる。ただしIRCAMとINA-GRMの双方の組織に関わる大抵の作曲家は、自由にそれらの長所を使い分けている。
他に全くの異端としてパスカル・デュサパンのような存在もいるが、デュサパン本人は近年の濫作のせいか最近はかつてほどのフランス楽壇への影響力が見られない。若手の異色としてはレジス・カンポのようにグリゼーに師事しながら全く別の語法を探る作曲家もいる。マルク・モネもエレクトロニクスを駆使しつつ、諧謔色の強い作風で話題になる事が多い。
海外への影響力は薄いものの、クロード・バリフ、アラン・バンキャール、ジャック・ルノ、オリヴィエ・グレフ、ブリス・ポゼらのように、エクリチュールの完成度の格調を誇る「フランスの古き良き伝統」を継承する流派も今日まで生き残っている。彼らの作品を演奏する人々が自然とレヴェルが高くなる点もまた、フランスの伝統の根幹を影から支えている証左と言える。
イタリア
イタリアではルチアーノ・ベリオ、ブルーノ・マデルナやルイージ・ノーノのような先駆者の後に、1930年代生まれの作曲家から次々に独創的な作曲家が出現した。ダヴィデ・アンザギ、シルヴァーノ・ブッソッティ、ニッコロ・カスティリョーニ(ニコロ・カスティリオーニ)、フランチェスコ・ペンニージ、アルマンド・ジェンティルッチ等があげられる。
イタリア勢の快進撃は1947年生まれのサルヴァトーレ・シャリーノの出現で一つのピークを迎えた。独学ではあったものの、イタリア前衛の仕掛け人フランコ・エヴァンジェリスティの後援でデビューした彼は、期待に答え1970年代に次々と斬新な音色感に溢れた作品を書き、スターの座をほしいままにした。彼の才能がどれだけ大きかったかは、2004年時点でCDが複数のレーベルから21枚リリースされるといった反応に現れている。
この頂点の後、イタリアの作曲家達は急速に「斬新さ」や「新しさ」といった側面を疎む傾向が進み、ファブリチオ・デ・ロッシ・レ、ルカ・ベルカストロ、ジョルジォ・コロンボ・タッカーニといった1960年代生まれの作曲家からは、書法の緻密さに拘泥しただけとも取れる、覇気のない後ろ向きの音楽性が主流となった。近年はさすがにこの傾向にもブレーキがかかっている模様で、リッカルド・ヴァリーニやエマヌエーレ・カザーレのような奇抜な音楽性に打って出る若手も見られるようになってきている。
ジャチント・シェルシは病を得て退院後、フランスのジェラール・グリゼーなどへ指導を行う傍ら、マイペースで作曲活動を行った。そのためか世界に名声が轟いたのは1980年代に入ってからだが、イタリア国内ではしばしば紹介されるという形が続いていた。彼のアシスタントはアルド・クレメンティを始めとして数多く、ローマ近辺の楽壇への影響力は強力であった。
フランコ・ドナトーニは前衛の時代から既に創作活動を行っていたが、1977年に「自己否定のオートマティズム」に開眼してからはこの手法で作品を多作し、ミラノ近辺の楽壇へ強烈な影響を与えた。この時代から没年までの彼の作風には現在も賛否両論が分かれるが、彼門下のイタリア人はほぼ全てこの作風に染まっていたことを注記しておく。
イギリス
イギリスは長年前衛が敬遠される過疎地であったが、ブライアン・ファーニホゥのフランスデビュー以後、ジェイムズ・ディロン、マイケル・フィニスィー、リチャード・バーレットに代表される新しい複雑性を皮切りに、新しい切り口を持つ作曲家が次々と現れている。全くの一匹狼と呼んでよいクリス・ニューマンのような異端も存在する。ファーニホゥの認知後、フィリップ・ミードが英国現代音楽ピアノコンクールを開催するなど、演奏家の振興にも熱心な層が出現した。フランスのIRCAMからの影響として、ジョナサン・ハーヴェイやジョージ・ベンジャミンのような作曲家も挙げられる。
一方でマニエリスムの音楽への一般聴衆の支持は厚く、マイケル・ナイマンをはじめマーク・アントニー・ターネジ、トーマス・アデスのような作曲家が一般聴衆にはもてはやされている。吉松隆がレコード会社シャンドスのレジデンスド・コンポーザーとして迎えられたのも、こうした層の需要が影響している。
ポーランド
ポーランドは戦後まもなくはソヴィエトの影響により社会主義リアリズムが強制され前衛的な作風は陰に潜まざるを得なかったが、その後共産圏ではいち早く方針転換し前衛的な活動が認められるようになると、ヴィトルド・ルトスワフスキやクシシトフ・ペンデレツキなど第一次ポーランド楽派と呼ばれる作曲家たちが活躍し、次々と西側に紹介された。これらの巨大な流行の後、大きな作曲家は出て来てはいないものの、音楽出版社PWMなどが若手作曲家を支援し続けている。現代音楽祭ワルシャワの秋では若手作曲家紹介の日が満席になるなど、依然として新しい創作へ熱心な聴衆を獲得している。
詳しくはポーランド楽派の項を参照。
概論(ロシア編)
ロシア(ソヴィエト連邦)では、ロシア革命前後はドミトリ・ショスタコーヴィチの初期作品およびロシア・アヴァンギャルドなどのような前衛的な作曲活動も行われたが、やがてスターリンの思想統制が強くなると社会主義リアリズムの強制により前衛的な活動は大幅に制限され、ほぼ不可能となった。セルゲイ・プロコフィエフやドミトリ・ショスタコーヴィチらが表面上は社会主義リアリズムを遵守しながら、その実は常に反抗心を持って作曲していたことが近年明るみに出た。彼らは強制と反抗の葛藤の中にありながらも多数の秀作を生んでいる。
一方で、社会主義を標榜するイタリアのルイジ・ノーノが極秘に西欧前衛現代音楽の楽譜をソヴィエト国内に持ち込み、戦後の若い世代の作曲家は水面下でそれらを勉強したほか、記譜せず証拠が残らない即興演奏という形でアンダーグラウンドでの前衛活動を試みた。後述のアリフレド・シュニトケの「レクイエム」の世界初演はプログラムに掲載せず、飛び入り演奏のような形で行われた事を参考例のひとつとして挙げておく。
ペレストロイカ以降になると思想的な規制は大幅に緩和され、それまで水面下で活動してきた前衛的な世代の作曲家が次々と西側に紹介された。ソフィア・グバイドゥーリナ、アルフレッド・シュニトケ、エディソン・デニソフなどである。彼らの音楽はソヴィエト国内においては前衛的な思想を持ちながらもその語法は西欧前衛とは全く異なるものであり、ペレストロイカのもたらした現代音楽上の「未知との遭遇」とも言える情報交流として注目を浴びた。それに先立ってエストニア(ソ連崩壊後独立)のアルヴォ・ペルトが西ベルリンへ亡命し、新しい単純性として注目されている。素材こそ単純ではあるものの、ショスタコーヴィチが想いを寄せたガリーナ・ウストヴォルスカヤは1970年代以降衝撃的な作風を打ち出し、1990年代にオランダから世界へ発信された。紹介当初のインタヴューで「これが初めての海外渡航なの」と語った彼女は、ショスタコーヴィチを振った、というそれだけの理由で作品を発表する自由も奪われていた。
ソヴィエト崩壊後はロシアの新世代も次々と紹介されている。崩壊後の数年はソヴィエトの若手世代にとっての「解禁された音楽」つまりアメリカなど西側のポップやロックなどを生のまま取り入れた音楽が、同じく解禁されたばかりの商業主義の流通路線により目立って紹介された。バッハのマタイ受難曲やシューベルトの鱒の五重奏曲などの引用にロックのスタイルを繋ぎ合わせるといった、木に竹を接いだような音楽が氾濫した。一方でロシア中央部以外、例えばタタールのような周辺の自治共和国では、いまだに「民謡に基づくスタイルの音楽と前衛的語法を折衷する」といった作曲も続けられており、あたかも動物学で言う絶滅危惧種を扱うような形で紹介されたりもした。ロシアで教育を受けたカザフスタン出身のジャミラ・ジャジルベコヴァとオレグ・パイベルディンの作品には、確かに土俗的要素と前衛語法の統合が図られている作品が見られる。
現在ではこれらのカルチャーショックを克服し、独自の語法を得た若手世代が徐々に台頭しつつある。現時点でニュー・ロシア・アヴァンギャルドと呼ばれているが、アヴァンギャルドという言葉が常にその時代における前衛と言う意味を指すことを考えると、これはもう少し時間がたってからこの世代の作曲家の共通点を見出してその特徴に値する名前で呼ばれるべきである。
俗に、「社会が変われば音楽が変わる」と言われるが、「国が滅べば新しい音楽が生まれる」といった形容が、これほど相応しい国家は世界のどこにもないだろう。
概論(アメリカ編)
20世紀のアメリカにおける現代音楽の展開は、カイル・ガン著の「20世紀のアメリカ音楽」(シャーマー社 1997年)に極めて高水準のリサーチが行われており、本稿は彼の著作との重複をなるべく避ける形で展開したい。
戦後のアメリカは、フランスから渡ったエドガー・ヴァレーズの音楽思想をそのまま受け継ぐ形でスタートした。だが、彼の言う「音楽とは科学である」という思想を半ば曲解したような受け入れが進み、ピッチクラスセット理論などにみられる高度な理論化に焦点が置かれ、音楽のあり方そのものを考える余裕は失われた。この状況がミルトン・バビット、エリオット・カーター、チャールズ・ウォーリネンに代表される「東海岸アカデミズム」と呼ばれる潮流を生んだ。とかくデメリットばかりが強調されるこの楽派だが、ブライアン・ファーニホゥがアメリカに招かれたのは、この潮流がなければ実現しなかったかもしれない。現在もこのアカデミズムはファーニホゥの影響を取り込み、アーロン・カッシディー、ジェイソン・エッカルトに継承されている。
その一方で、楽器の発案や身体性、土着文化等に想を得た作曲家たちも存在し、ヘンリー・カウエルは戦前からヨーロッパで評価が高く、来日も果たし950曲以上の作品を生んだ。彼の書いた「新しい音楽の源泉」に多くの作曲家が触発され、コンロン・ナンカロウ、ジョン・ケージ、ルー・ハリソン、ハリー・パーチ等の作曲家たちが「東海岸アカデミズム」と対立する形になった。この対立は、ダルムシュタット夏季現代音楽講習会でケージが高い評価を得てから、なおも深まっていった。エリオット・カーターに自分の作品が認められず、転校を余儀なくされたローリー・シュピーゲル、「いったい何人のPh.D所有者が創造的な音楽を書けるのかね」と憤慨したアンソニー・ブラクストンのエピソードは、「東海岸アカデミズム」の弊害の一端を示している。
1960年代以降、スティーヴ・ライヒに代表されるミニマリズムなど反復語法が復権してからは、ヨーロッパのエクスペリメンタリズムの音楽が敬遠される形となった。
1980年代にブライアン・ファーニホゥ、湯浅譲二がカリフォルニア大学サンディエゴ校で教え始めてからは、かなり風向きが変わってきた。ヨーロッパの前衛を再認識する若手も増え始め、トリスタン・ミュライユ、マイケル・フィニスィー、シュテファン・シュライエルマッヒャー、アントワーヌ・ボイガーなどがアメリカに招かれた。もはや東海岸と西海岸の対立も既にない。インターネットの出現で自分の消化する音楽文化を、自由に選択できる時代に入っても、依然としてローカルで低レヴェルな創作を行う者もいれば、世界で高い評価を得られるレヴェルの者もいる。ピンとキリの幅が日本よりも広い等の要因のため、なかなか日本に高レヴェルのアメリカの作曲家が紹介されにくい状況が続いている。
概論(日本編)
戦後当初の日本の楽壇ではドイツ系諸井三郎門下の「新声会」およびフランス系池内友次郎門下の「地人会」をはじめとする芸大アカデミズムが主流と見られていたが、その枠組みの外では松平頼則や清瀬保二ら新作曲派協会の活動、実験工房出身の武満徹や湯浅譲二、鈴木博義らの活動(武満と鈴木は新作曲派協会にも参加)がより前衛的な語法を目指し活動していた。また黛敏郎によるあらゆる西洋前衛語法の模倣と紹介、後には一柳慧らによるジョン・ケージなどアメリカ実験音楽の紹介などによって、ヨーロッパやアメリカの前衛音楽を吸収していった。
また1957年からは二十世紀現代音楽研究所による軽井沢現代音楽祭が計3回開かれ、ヨーロッパの前衛現代音楽が次々と紹介された。作曲コンクールも行われており、後の電子音楽の巨匠となったローランド・カイン、武満徹、松下眞一が受賞者に見られることからも、志の高さが伺える。この催しはドイツのダルムシュタット夏季現代音楽講習会およびドナウエッシンゲン音楽祭を強く意識しており、後述する秋吉台国際20世紀音楽セミナー&フェスティバルを歴史的に先取りするものである。また1960年からの草月アートセンターによる現代音楽演奏会草月コンテンポラリー・シリーズもヨーロッパおよびアメリカの最新現代音楽シーンを紹介し続けた。
1964年からは邦楽器ブームが起こり、日本の西洋系現代音楽の作曲家の間で邦楽器を使った作品が多数作曲される。特に武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」(琵琶、尺八とオーケストラのための)は国際的にも広く認知され、この分野で最も成功を収めた作品である。後には邦楽器ブームは近世邦楽のみならず雅楽の楽器にも広がり、国立劇場の委嘱活動として雅楽の編成を用いた現代雅楽作品が黛敏郎、武満徹、カールハインツ・シュトックハウゼンらにより作曲される。1970年には大阪万博が開かれ、大掛かりなテープ音楽の上演を含む多くの催しが行われた。この万博をもって日本の現代音楽、さらに日本の前衛現代芸術はひとつの頂点を迎える。
前衛の停滞期以後、日本ではマニエリスムが先行しエクスペリメンタリズムの音楽と呼ばれる実験主義による次世代(かつての前衛世代以後)のヨーロッパ前衛音楽はなかなか認知されなかったが、ダルムシュタット夏季現代音楽講習会の日本版を意図して細川俊夫が主催した秋吉台国際20世紀音楽セミナー&フェスティバル(1989年 - 1998年)によってヨーロッパのエクスペリメンタリズムの音楽が次々と紹介され、1960年代生まれ以降の作曲家を中心に、日本の作曲家の潮流として秋吉台世代という新たな枠組みを生み出した。現在は別組織武生国際作曲ワークショップ(監督はやはり細川俊夫)によって類似の活動が行われている。
日本編付記
日本における前衛的音響はテレビ番組の効果音からJPOPのバックトラック、果てはアニメのサウンドトラックまで幅広く浸透しており、「作品としてなら聞けないが、効果としては聞ける」受容へ到っている。簡単に受け入れられた例として「ゴジラ」の泣き声をあげておく。伊福部昭の発案によるこの音は、コントラバスの特殊奏法を最大限に増幅して得られた。本来微小な音響を最大限に増幅する手法は小杉武久や池田亮司の作品においてしばしば現れるものである。
日本においては、機械的な処理を必要とする現代音楽に対し「NHK電子音楽スタジオ」の設置やその他の支援によって多くの実験的作品が作られ、FM放送番組「現代の音楽」などでも定期的に紹介されるなど、NHKが果たした役割は大きい。アメリカの現代作曲家のトップレヴェルに位置するデアリ・ジョン・ミゼル、マイケル・ピサロ等の紹介が遅れ、イアニス・クセナキスやポーランド楽派の紹介が驚異的に早かったのは、第二次世界大戦における敗戦が原因ではないかと見られている。
他分野の音楽、およびそれらとの相互の影響
今日(こんにち)、クラシック音楽の流れとしては見なされない他分野の音楽(例えばポップ、ジャズ、ロックなど、主に商業音楽と位置づけられている音楽分野)は、クラシック音楽とは分けて考える認識が一般的である。(この定義・問題についての詳細は現代の音楽の項で扱うこととする)
これら他分野の音楽への現代音楽の影響としては、1960年代後半頃以降、フリー・ジャズやコンテンポラリー・ジャズ、あるいはプログレッシブ・ロック、ノイズ・ミュージックなどのジャンルに影響を与えた。
また先に述べた「マニエリスムの音楽」の一部には、こうした他分野の商業音楽の語法を取り入れた音楽もある。
商業音楽との境界
ドイツ語では、まじめな音楽Ernste Musik(E-Musik)と娯楽音楽Unterhaltungsmusik(U-Musik)という分類があり、この「まじめな音楽」がクラシック音楽および現代音楽を指す(他民族の音楽においても伝統にのっとった厳粛なものや宮廷音楽などの場合はE-Musikに相当すると考える)。現代においては、主に商業の流通に直接のっとった音楽をU-Musikと呼び倣わしている。他の国での考え方もほぼこれと同類であると見て良い。
ただしこの(ドイツ語を借りれば)E-MusikとU-Musikのいわゆる中間に位置する音楽というものも存在する。これらはU-Musikの範疇としては進歩的・先鋭的な立場にあるが、E-Musikの範疇として扱うという認識は(一般的な価値観では)されない音楽を指す。これらの音楽はアヴァン・ポップ(avant pops)とも呼ばれている。パブロ・メルクは一時期E-MusikとU-Musikの混血児のような作風に没頭しており、アンリ・プスールの作品に「E-Musik?それともU-Musik?」という題名の作品がある。
映画音楽
映画音楽については、そのほとんどが前項の娯楽音楽に含まれるという認識が一般的だが、現代音楽の作曲家が映画音楽を手がける例もあり、そのうちのいくつかは(その映画作品そのものの芸術的・先鋭的な姿勢に呼応して)先鋭的な音楽をつける場合がある。こうした音楽は現代音楽と認識される場合がある。こうした例は現代音楽に限らず、トーキー映画が登場した20世紀初頭の近代音楽においても見られる。(あるいはサイレント映画の伴奏も含む)
近代での具体例
- 映画「アレクサンドル・ネフスキー」監督:セルゲイ・エイゼンシュテイン/音楽:セルゲイ・プロコフィエフ(後に組曲に纏めた)
- 映画「美女と野獣」 監督:ジャン・コクトー/音楽:ジョルジュ・オーリック
現代での具体例
- 映画「怪談」 監督:小林正樹/音楽:武満徹
また、現代音楽の既存の作品が映画のBGMとして流用される場合もある。
具体例
- 映画「2001年宇宙の旅」 監督:スタンリー・キューブリック/二次使用された音楽:ジェルジ・リゲティ「ルクス・エテルナ」および「アトモスフェール」
現代音楽の作曲家が映画音楽の仕事を手がける場合は、その理由として経済的収入の視点もあるが、演奏会用純音楽ではなかなか実験できない新しいアイデアを、映画音楽において試みる場とすることがある。オーケストレーションの実践であったり、あるいはそれまで作曲家にとって使ったことのない楽器や音響技術を試みる場合もある。
日本での例では伊福部昭、早坂文雄などの先例に続き、武満徹、池辺晋一郎などが映画音楽に多く関わっている。武満の例では、琵琶や尺八を最初に用いたのは映画音楽の中であり、その後代表作「ノヴェンバー・ステップス」など純音楽でも邦楽器を進んで用いるようになった(詳細は武満徹の項を参照)。また映画音楽に限らず、演劇の舞台音楽やテレビ番組(特にドラマやドキュメンタリー番組など)の音楽なども手がける場合もある。ベルント・アロイス・ツィンマーマンは一時期収入がそのような音楽の仕事のみになったことがあるほどである。
近年のマニエリスムの音楽の作曲家は、映画音楽そのものを純音楽として演奏会で上演する場合も多い。映画用の音楽だから普段の作風とは別に判りやすいものを作るという考えではなく、もはや映画音楽と自己の純音楽との作風がほとんど大差ないといえる。
具体例
- 映画「ピアノ・レッスン」 監督:ジェーン・カンピオン /音楽:マイケル・ナイマン
- 映画「クン・ドゥン」 監督:スコセッシ/音楽:フィリップ・グラス
- 映画「戦場のメリークリスマス」 監督:大島渚 /音楽:坂本龍一
- 映画「風の谷のナウシカ」以降の宮崎駿監督のアニメ映画/音楽:久石譲(彼はこの仕事の成功により現在では映画音楽の作曲家としての名声のほうが一般的である)
映画音楽が折衷主義的なポジションを得た最大の要因は、亡命したエーリヒ・コルンゴルトがハリウッドで後期ロマン派の様式から一歩も出ない作品を書きつづけたことが非常に大きい。彼がこのような仕事をもし引き受けていなかったら、映画音楽がマニエリスムの音楽の巣窟になることもありえなかった可能性が指摘されている。カリフォルニアで教鞭を取ったアーノルト・シェーンベルクのレッスンを受けたものの多くが、ハリウッドで映画音楽の製作に関っているのではないかという説があるのは興味深い。原則的に未聴感ではなく既聴感に訴えかける産業がこのような経緯で成立している。
具体音の導入
ミュジーク・コンクレートにおけるサンプリング手法は、その後に電子的なサンプラーにより、一般的なポップミュージックにも応用されるようになった。これは具体音の録音を音楽の一部として認識するという意味において特筆すべき事項である。音を録音してさらにそれを電子的な技術により変調させたものを使うという発想が一般に定着したのは、ミュジーク・コンクレートの功績が大きい。
ただしクラシック音楽の歴史において具体音を効果として盛り込む試みはすでに多く見られる。例えばレオポルト・モーツァルトの「おもちゃの交響曲」での鳥笛など音の出るおもちゃ、ヨーゼフ・シュトラウスの「鍛冶屋のポルカ」での鉄のレールをハンマーで叩く音、マーラーの交響曲で使われる木槌や鎖など特殊な打楽器などである。セミクラシックと呼ばれるルロイ・アンダーソンの「タイプライター」では、題名どおりそのものを打楽器として用いている。
音楽劇の中で劇中の小道具を音楽に取り込む用法としてはワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」で、主役の靴職人ハンス・ザックスが宿敵ベックメッサーの歌の練習を邪魔して靴を叩く音を挿入したり、サティの舞台音楽「パラード」で大騒ぎの挙句ピストルやサイレンの音を挿入するなどが挙げられる。(サイレンの音は、後にエドガー・ヴァレーズが「イオニザシオン」などで純音楽的効果として用いている。)これらは録音技術以前において具体音を音楽として取り込んでいる例である。
また具体音を楽音で模した例となると無数にある。シャルル・ヴァレンティン・アルカン、アルチュール・オネゲル、ルエド・ランゴーが鉄道の音を模倣しているが、アルカンの頃には既存の音楽の枠に具体音を押し込めていたのが、ランゴーの頃には忠実な具体音の模写そのものが音楽になっている。直接的な音響効果を求めるだけでなく、その音響を聴き手が認識することによってその音から別の事象が連想されるという意味合いがある。
現代音楽における他分野の音楽の引用
この試みについては古くは20世紀初頭でのガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」におけるジャズの語法の導入、さらにさかのぼれば18世紀にベートーヴェンが当時の流行歌を主旋律に取り込んで変奏曲に用いたピアノ三重奏曲「街の歌」などにも見られる。これらは単に語法を取り込んだという事実だけでなく、その語法を取り込むことによって聴き手に既聴感を想起させ喜ばせるという意味合いも生まれる。
主に近年のマニエリスムの音楽の作曲家の間では、こうした手法は広く行われている。現代音楽の古典としての地位を占める作曲家ルチアーノ・ベリオの一部の作品では、例えばテープ音楽「迷宮」において、フリー・ジャズ的な語法およびポップ音楽のバックコーラス的なスキャット唱法などが垣間見えるが、これは後のマニエリスムの音楽の潮流の到来を予感させるとも言える。
現代音楽の代表的作曲家
複数の分野にまたがる作曲家を含む。
1944年以前
- 新古典派
- 社会主義リアリズム
- 新ウィーン楽派(参照:十二音音楽)
- アルノルト・シェーンベルク
- アルバン・ベルク
- アントン・ヴェーベルン
- 新民族音楽主義
- ベラ・バルトーク
- 伊福部昭
- ニコス・スカルコッタス
- カロル・シマノフスキ
- フェデリコ・モンポウ
1945年 - 1968年(前衛の時代からその終焉まで)
- ミュジック・セリエル(トータル・セリエリズム、総音列主義)
- ミュジーク・コンクレート
- ピエール・シェフェール
- ピエール・アンリ
- トーン・クラスター
- ジェルジ・リゲティ
- イアニス・クセナキス
- クシシトフ・ペンデレツキ
- 偶然性の音楽(または不確定性)
- ジョン・ケイジ
- ロマン・ハウベンシュトック=ラマティ
- アンドレ・ブークレシュリエフ
- 引用
- ベルント・アロイス・ツィンマーマン
- 松平頼暁
- ヨハネス・フリッチュ
- サルヴァトーレ・シャリーノ
- ミニマル・ミュージック
- 第一次ポーランド楽派
- ヴィトルド・ルトスワフスキ
- クシシトフ・ペンデレツキ
- ヘンリク・ミコワイ・グレツキ
- 即興音楽
- ヴィンコ・グロボカール
- ボグスワフ・シェッフェル
- コーネリアス・カーデュー
- 高橋悠治
- 菅野茂
- 左翼系
- ハンス・ウェルナー・ヘンツェ
- ルイジ・ノーノ
- フレデリック・ジェフスキー
1968年 - (前衛の終焉以後)
マニエリスムの音楽 既存の音楽への帰化を目指すもの
- 新しい単純性
- アルヴォ・ペルト
- ジョン・タヴナー
- ヘンリク・ミコワイ・グレツキ
- ルイ・アンドリーセン
- 新ロマン主義
- ハンス・ウェルナー・ヘンツェ
- ヴォルフガング・リーム
- デトレフ・ミュラー=ジーメンス
- マンフレート・トロヤーン
- ハンス・ユルゲン・フォン・ボーゼ
- 多様式主義
- アリフレド・シュニトケ
- 水野修孝
- 柴田南雄
- 環境音楽
- ブライアン・イーノ
- ギャヴィン・ブライヤーズ
- 芦川聡
- エキゾティズム
- タン・ドゥン
- チェン・キガン
- P.Q.ファン
- コンラード・デル・ロザリオ
- クリストファー・アドラー
- ケヴィン・ヴォランス
- チナリー・ウン
エクスペリメンタリズムの音楽 前衛的な姿勢をとり、人文科学的知性としての音楽の発展を目指すもの
- ポスト構造主義
- ヘルムート・ラッヘンマン
- フランコ・ドナトーニ
- サルヴァトーレ・シャリーノ
- トム・ジョンソン
- 近藤譲
- スペクトル楽派
- ジェラール・グリゼー
- トリスタン・ミュライユ
- ミカエル・レヴィナス
- ユーグ・デュフール
- アラン・ゴーサン
- 新しい複雑性
- ブライアン・ファーニホゥ
- マイケル・フィニスィー
- ジェイムズ・ディロン
- リチャード・バーレット
- ジェイムズ・アーバー
- クラウス・シュテファン・マーンコプフ
- ヴァンデルヴァイザー楽派
- アントワーヌ・ボイガー
- ブルックハルト・シュロットハウアー
- マイケル・ピサロ
- ラドゥ・マルファッティ
日本の潮流
- 日本の作曲家については、日本のクラシック音楽の作曲家一覧を参照。
