浅井長政

Keywords: 浅井長政, 1545年, 1560年, 1567年, 1570年, 1573年, 9月1日 (旧暦), 9月26日, お市の方, 京極高次

浅井 長政あざい ながまさ天文14年(1545年) - 天正元年9月1日1573年9月26日))は戦国時代戦国大名武将である。家系としては、浅井氏は藤原姓を称するが、学説的には実際は現地の土着豪族の出かといわれている。近江国小谷城浅井久政の子、母は井口守経の娘。兄弟に浅井政元。室は織田信秀の娘のお市。嫡子万福丸は滅亡時にとらえられ処刑された。女子に豊臣秀吉の側室となった茶々京極高次の室となった常高院徳川秀忠の室となった於江与

はじめ六角義賢の一字を貰い賢政と名乗り、六角氏の家臣平井定武の娘を室とする。六角氏への臣従に不満を持つ家臣らにより父の久政が隠居させられ、家督を相続する。長政は六角氏から離反し、1560年(永禄3)には野良田の戦いで六角氏を撃破し、足利義昭を奉じる朝倉氏と同盟して独立する。美濃国斎藤氏を破り国境を接した尾張国織田信長と同盟を結び、1567年(永禄10)に信長の妹のお市を妻とする。信長は浅井氏とともに六角氏を撃破し、義昭を奉じて上洛する。1570年(元亀元)、信長が琵琶湖西岸を通過して朝倉方の城を攻め始めると、長政は朝倉や石山本願寺との同盟関係を重視して信長と敵対したとされる。信長は近江を脱出し、同年6月には長政は朝倉軍とともに姉川の戦いで織田・徳川連合軍と戦い破れる。1573年(天正元)、本拠の小谷城(滋賀県湖北町)を攻められ自害する、享年28。

法名:養源院天英宗清  墓所:滋賀県長浜市の徳勝寺。

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