柔道

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柔道(じゅうどう)は、明治15年嘉納治五郎が創始した武道であり、格闘技スポーツにも分類される。正式名称は「日本伝講道館柔道」という。2人の選手が組み合って、相手を投げて背中から落とす、相手の足をはらい倒す、あるいは一定時間以上押さえ込むことができれば勝ち。「精力善用」「自他共栄」を基本理念とし、単なる勝利至上主義ではなく、精神鍛錬を目的としている。

学校体育の「武道」の領域にも組み入れられており(平成元年より「格技」から「武道」に名称変更)、柔道場を有する学校も多い。剣道空手と並び、日本でもっとも広く行われている武道の一つ。

目次

歴史

古くは、12世紀以降の武家社会の中で、武芸十八般と言われる武士の武術の一つとして江戸時代柔術が発展した。幕末までに百を越える流派が生まれていたとされる。

1882年に、嘉納治五郎が、当身技、固技を中心とする天神真揚流柔術、投げ技を中心とする起倒流柔術の技を基礎に、起倒流の稽古体験から「崩し」の原理をより深く研究して整理体系化し、修身法,練体法,勝負法として今までの修行面に加えて人間教育の手段としての講道館柔道を創設した。

しかし、当時講道館は柔術の一派としてしか見られなかった。講道館四天王の一人である西郷四郎(小説「姿三四郎」のモデル)が警視庁武道大会で優勝し、警察庁が講道館柔道を正式に認めたため全国に広まっていった。

外部リンク

ブラジルでの異種格闘技戦

1951年木村雅彦七段、山口利夫六段、加藤幸夫五段の日本柔道使節がブラジルに招かれる。この時、グレイシー柔術とルタ・リーブリによる異種格闘技戦を行っている。

9月6日に加藤幸夫がリオデジャネイロでエリオ・グレイシーと対戦。試合は10分3ラウンドのブラジル柔術ルールで行われ引き分けに終わる。9月23日に二人は再戦し8分目で加藤が絞め落とされエリオの一本勝ちに終わった。 10月23日に木村雅彦とエリオ・グレイシーが対戦。木村が2R開始3分目で腕を取りエリオは意識がなくなっていたため兄のカルロスがストップを申し出し木村の勝利に終わった。

国際的な競技としての普及

柔道の試合競技は1964年東京オリンピックで、正式種目となる。女子種目も、1988年ソウルオリンピックで公開競技、1992年バルセロナオリンピックでは正式種目に採用された。

現在は、世界中に普及し、国際柔道連盟の加盟国・地域も184カ国ある。日本以外では、欧州で人気が高く、特にフランスの競技人口は、日本の競技人口を大きく上回っている。

技術体系

講道館柔道の技は「投げ」「固め」「当身(あてみ)」の3種類に分類される。また柔道形と乱取りがある。嘉納自身、当身技は危険として乱取り・試合では「投げ」「固め」のみとした。このゆえにスポーツとしての柔道は安全性を獲得し、広く普及していくこととなった。

当身技については、現在では昇級・昇段審査においても行われることが稀であるため、柔道修行者でもその存在を知らないことが多く、また指導できる師範も少ないのが現実である。

段級位制

段級位は、数字の大きい級位から始まり、上達につれて数字の小さな級位となり、初段の上はまた数字の大きな段位になってゆく。

こういった段級位制は現在さまざまな武道や、あるいはその他書道などにおいても広くおこなわれているが、講道館柔道のそれをベースにしているといわれる。

初段が黒帯というのは広く知られており、クロオビは英語圏でも通用する単語となっている。(もともと道着のは洗濯しないのが基本であり、稽古の年月を重ねるうちに黒くなっていくことから、黒帯が強さの象徴となったのであり、茶帯が白から黒に至る中途に設定されているのはこの残存形式であるとも言う)

成年部の場合の帯と段級位の関係は以下のようになっている。(四級以下については、道場によって違いもある)

※六段以上は黒帯でも構わない。
※女子部は国内ルールでは1/5幅の白線入りだが、国際ルールでは男女とも同じものを用いる。
※国際ルールを用いる国内の大会では、女子は白線入り帯を締めてもよいことになっているのがほとんど。

ルール

試合場は、8m×8mから10m×10m四方のの上。講道館規定67種類,国際規定66種類の「投げ技」と29種類(講道館,国際共)の「固技」を使って、相手を制することを競う。

試合は規定の試合時間の中で行われ、優勢なものの勝ちとなるが、「一本」の場合残り時間にかかわらずその時点で試合は終了する。また、両者に投げ技や抑え込みによるスコアがなかった場合には、試合を同じ時間延長しどちらかが先にポイントをとった時点で試合終了となる(ゴールデンスコア方式)。それでもなお時間切れになった場合は主審および副審の判定により優勢勝ちが告げられる。大会の規定によっては引き分けとする場合もある。

試合時間はオリンピックをはじめとした公式大会では5分だが、中学や高校では4分や3分で試合終了としている大会もある。

国際大会の敗者復活トーナメント戦

また、オリンピック世界柔道選手権では、3位決定戦を行う関係上、敗者組の復活トーナメントも行われる。これは予選トーナメントで敗れた選手の中から、ベスト4の選手と直接対決した選手が出場できる。

投げ技

相手を制しながら背を大きく畳につくように,相当な強さと速さをもって投げたとき「一本」となる。「一本」に準ずるスコアは「技あり」、「技あり」に準ずるスコアは「有効」、さらに下には「効果」がある。「技あり」2回で、合わせて「一本」になる。「有効」・「効果」は、何回とっても上位のスコアに及ばない。(講道館規定は有効まで)

固技

国際審判規定では相手の背,両肩または片方の肩を畳につくように制し,25秒間経過すると、「一本」勝ちになる。20秒以上25秒未満で「技あり」、15秒以上20秒未満で「有効」、10秒以上15秒未満で「効果」である。なお、講道館規定では30秒で「一本」、25秒以上30秒未満で「技有り」、20秒以上25秒未満で「有効」となる。 絞め技、関節技については、相手が「参った」の合図(相手の体若しくは畳を審判に分かるように2~3回たたく)をすれば「一本」勝ちになる。

※関節技の場合、「参った」をするかどうかは、完全に本人の自由である。従って、肘や肩を脱臼しても勝つ自信がある場合、「参った」をしないことがあるが、非常に危険なため勧められない。
※絞め技で失神した場合は、「一本」となる。
※地方レベル、中学生以下の大会の場合、関節技や絞め技が完全に極まっていれば、安全のため、選手が「参った」をしなくても「一本」になることがある。これを「見込み一本」という。
※中学生以下は安全のため関節技禁止。
※小学生以下は安全のため絞め技禁止。

柔道整復

活殺自在というように、武術柔術は相手を殺すための殺法と、治療や骨折の骨接ぎなど応急処置のための活法から成っていた。

これを、明治に柔道が創設された際、柔道家の収入源として、またその治療を認めさせ柔道整復師として資格化した。講道館柔道の活法をもとにしている。

なお、現在、市井で「整体」と一般に呼ばれている技術体系は、これとはまったく異なるものであるが、一般には混同されている。

柔道の町道場の隣に整復院があるのは、何も「怪我した道場生を担ぎ込むため」ではなく(無論その効用も大きいが)、道場主が整復院を営んでいる(2カ所も借りるのは非能率的)ゆえ、という場合が基本である。もとより受身などを非常に重視する柔道の稽古では、当て身を行わなず投げや固めを主体とする現在の競技・試合体系からいって、他の格闘技と比して身体の重大な損傷は少ない。(それを目的のひとつとして嘉納は柔道を「設計」したのである。)ただしその技法の特徴から、打撲ではなく脱臼などの怪我を負うことは比率としては多く、技と表裏一体の関係にある柔道整復の技術は、まさにそこで役に立つ。

ここで言う整復院とは、現在の「接骨院」「整骨院」のことであり、現在では「柔道整復師」という国家資格を持つものによって運営されている。 大正9(1920)年、当時の内務省令により、「柔道整復術」という名称で公認され、同年、第1回の資格試験が施行されたという歴史を持ち、地域に根ざした医療を行っている。 「接骨院」「整骨院」では、健康保険や自賠責保険などを利用でき、「骨折、脱臼、捻挫、打撲、挫傷」等を治療することができる。 「柔道整復師」はただ治療するだけではなく、そのスポーツに多く携わった経験や古来からの伝統の技により、「早く使える状態に戻すことができる」という技術を持っている。 「柔道整復」は他の国では見ることのできない日本独自の医療技術であり、 2001年2月のWHO発行「伝統医療と相補・代替医療に関する報告」には、日本の伝統医療として紹介された。

流派

柔道には、空手と違い柔道自体が全ての根本原理としているため、流派というものが基本的に存在せず、講道館柔道のみの一武道一流派となっている。

あえて数えるならば、旧制高校で工夫を加えられた、寝技に特化した高専柔道が唯一の分派と言えるであろう。これは近代柔道史の中で異彩を放っており、本流に与えた影響も無視できない。

韓国のユド

韓国で、「柔道」の漢字を「ユド」と朝鮮語読みした上で、韓国起源の伝統武道だと主張された事がインターネットなどを通じて問題になっている。ただし、全柔連が猛抗議をおこなったので剣道のコムド問題ほど大きい問題には発展していない。

関連項目

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