朝倉氏
Keywords: 朝倉氏, 1573年, 一乗谷, 但馬国, 兵庫県, 分国法, 前波吉継, 南北朝時代 (日本), 姉川の合戦, 孝徳天皇
朝倉氏(あさくらし、あさくらうじ)は、越前国の一族である。戦国時代には戦国大名となる。
出自は但馬国養父郡朝倉(兵庫県養父市)ではじめは日下部(くさかべ)を姓とした。『越州軍記』によると開化天皇、『朝倉始末記』によると孝徳天皇の後裔とされている。南北朝時代以来、足利氏に属し越前国守護斯波氏に仕える。室町時代には朝倉孝景が守護代の甲斐常治とともに斯波義廉と対立し、足利将軍家の家督争いなどから発展した応仁の乱では山名持豊(宗全)率いる西軍から細川勝元率いる東軍に属し、甲斐氏を追う。朝倉敏景は越前国守護に取り立てられ一乗谷城に拠った。敏景は分国法である『朝倉敏景十七ヶ条』を制定する。旧主 斯波氏が越前守護職を回復せんと朝倉氏の越前実効支配について、幕府に異議を申し立てると、かつての守護 斯波義廉の子を越前国における足利将軍家の分家にあたり、鞍谷御所として尊崇を集めていた鞍谷氏の養子として鞍谷義俊と名乗らせると、幕府の反対を押し切ってこの義俊を名目上の守護として擁立した。後に鞍谷氏は朝倉氏の客臣化し、朝倉氏が名実ともに同国の戦国大名として確立する。戦国時代には朝倉義景は近江国の浅井氏とともに尾張国から侵攻した織田信長と対立し、1573年、滅ぼされた。
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家伝
開化天皇-彦坐王-船穂足尼-豊忍別乃君-島根尼君-太尼牟古乃君‐‐‐表米-荒嶋‐‐‐利実-用樹-蕃在-親泰-広佐-佐清-朝倉宗高-朝倉高清-八木安高-朝倉高吉-朝倉高実-朝倉高景-朝倉高資-朝倉広信-朝倉広景-朝倉高景-朝倉氏景-朝倉貞景-朝倉教景-朝倉為景-朝倉敏景-朝倉氏景-朝倉貞景-朝倉孝景-朝倉義景
歴代当主
主要家臣団
子孫
姉川の合戦で敗北した後、越後国に落ち延びた者あり。また、水戸藩にも藩士として生き延びた者あり。
