新井将敬
Keywords: 新井将敬, 1948年, 1966年, 1981年, 1983年, 1986年, 1990年代, 1993年, 1998年
新井 将敬(あらい しょうけい、1948年1月12日 - 1998年2月19日)は、日本の政治家。
来歴
在日朝鮮人の家庭に生まれる(朝鮮名、朴 景在)。1966年に朝鮮籍から日本国に帰化。「朝鮮籍」とは北朝鮮籍のことではない。東京大学理科I類に入学するが、翌年東京大学文科I類に入学しなおす。東京大学経済学部卒業後、一時新日本製鐵に勤務。その後、大蔵省に入る。
官僚としての経歴は、銀行局課長補佐を一時期務めた他は精彩に欠けるものであったが、当時、勢力の拡大を目指し若手官僚を取り込んでいた渡辺美智雄の目にとまり、1981年渡辺美智雄が大蔵大臣に就任すると、その秘書官に抜擢され子飼いとして活躍することになる。この活躍の代表的なものが、証券界が渇望していた小口預金的商品「中期国債ファンド」の導入であり、銀行界及び銀行シンパの大蔵省同僚からの強い抵抗を押し切り、これに成功した。このときの証券業界の幹事が日興証券(のちの日興コーディアル証券)であり、それ以来、両者の深い関係が始まり、後の事件へとつながる。
1983年の衆議院議員総選挙に東京2区から初出馬。 この時、対立候補だった石原慎太郎の公設第一秘書によって「北朝鮮から帰化」と誹謗中傷するシールを貼られ、選挙妨害で石原を告訴している(後に告訴取り下げ)。
1986年の衆議院議員総選挙で初当選。以後4回当選する。
1990年代に政治改革が政局の焦点になると、改革派の若手論客としてテレビに出演し、脚光を浴びるようになる。1993年(平成5年)の自由民主党の分裂では自民党に残るが、細川護煕の後継をめぐる渡辺美智雄擁立劇では、先行離党し、柿沢弘治、太田誠一らと自由党を結成する。その後、新進党に合流するが、離党し、自民党に復党した。
一連の証券スキャンダルでの借名口座による株取引が問題化。 更に日興証券に利益要求していたと言う疑惑も浮かび上がる。衆議院本会議で逮捕許諾が議決される直前に、真相が解明されないまま都内のホテルで首を吊って自ら命を断った。部屋にはウイスキーの空き瓶が沢山落ちていた。ただ自殺には諸説あり、他殺の可能性もないとはいえない。山口節生は「新井将敬を殺したのは、他の政治家たちだ」と主張した。
新井将敬を取り上げた書物
- 河信基『代議士の自決──新井将敬の真実』
- 大川豊『誰が新井将敬を殺したか』
