ピンク映画

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ピンク映画ピンクえいが)とは、大手以外の映画製作会社によって製作された、ポルノ映画のこと。代表的な制作・配給会社としては新東宝映画、オーピー映画(大蔵映画)、新日本映像(エクセス・フィルム)がある。この他に制作のみを行っている国映があり、配給は新東宝映画に委託されている。
こうしたピンク映画の傍流にゲイ・ポルノと呼ばれる同性愛者向けのポルノ映画があり、ENKプロモーションと大蔵映画が制作・配給し、独自に経営する専門館で興行まで行っている。余談であるが、ENKプロモーションは大阪を拠点にしている数少ない映画会社である。

なお、日活が製作していた日活ロマンポルノは、人材・作風などからピンク映画と関連性があるが、別物と言って良い。ロマンポルノは予算がピンク映画に比べて潤沢であり、日活社有のスタジオが利用でき、俳優・監督なども事実上の日活専属が多かった事からピンク映画とは様々な面でカラーが異なっていた。ピンク映画業界において女優や監督など優秀な人材が日活にヘッドハンティングされる事もあり、決して対等・良好な関係とは言えなかった。ただし、1980年代後半以降、諸般の事情からロマンポルノにピンク映画出身の監督が次々に進出するようになり、垣根は取り払われていった。

ピンク映画の起源ははっきりとしていない。一般的には、1950-60年代、テレビの普及で職を奪われたニュース映画や教育映画関係者達が糊口を凌ぐためにお色気をテーマにした短編・中篇映画を製作し、これを同じく衰退しつつあった小規模なニュース映画専門館に供給したのが始まりといわれる。
この頃、ピンク映画という言葉は無く、「お色気映画」などとも呼ばれていたというが、夕刊紙「内外タイムス」記者が「おピンク映画」とこれらの作品群を呼び、この結果、「お」が外れてピンク映画という言葉が誕生したといわれる。
当時は文字通り「お色気」に徹した作品であり、現在の過激な性描写には程遠い代物だった。また、作品としての質も決して高くなかった。
しかし、1961年に新東宝が倒産すると、一般の劇映画を経験した監督やスタッフが次々に進出し、若松孝二の様に才能のある人材も次々にピンク映画に参入してきた。特に若松は「若松プロ」を設立し、ピンク映画というよりは一種の芸術作品として問題作を発表し、ピンク映画の価値を高めた。
その一方で業界の淘汰・再編も進み、1960年代中盤には新東宝・大蔵などは全国各地の成人館を一般映画同様、チェーン化していった。1970年には日活ロマンポルノの一定の成功もあって、東映セントラルフィルム、東活(事実上の松竹系)、ミリオンフィルム(現在のヒューマックスグループ)といったメジャー系のピンク映画製作会社も出現した。
1980年代前半はピンク映画の最盛期であり、これら製作会社が多数発表する一方で、ゲイ・ポルノ等も製作が開始される。しかし、80年代後半はアダルトビデオに市場を奪われ衰退、さらにピンク映画に対する映画業界による自主規制などからメジャー系製作会社は次々に撤退。89年のロマンポルノの撤退も含めて、90年代には市場が大幅に縮小した。

ピンク映画は文字通り、性描写を第一義とする映画である。しかし、長らく性描写に対する規制が強かった事、監督やスタッフに映画業界関係者が少なからず存在する事、大学や映画専門学校出身の作家(監督、脚本家)やスタッフ、俳優がそもそも映画業界志望であって一般映画への憧憬が強かった事などから性描写に力点を置きつつも、一般映画としての質を望む事も多かった。
このため、欧米のポルノ映画ではあまり省みられない映画としての評価と、性描写や女優の美貌などポルノとしてのクオリティが共存する日本独特の物となった。

ピンク映画は低予算、早撮りを特徴としており、一般的な作品の場合300万円程度の予算で撮影期間は三日ほど。従って、多くの場合には二晩徹夜で撮影をし続ける。かつては専用スタジオを用いた撮影も一部で行われていたが、一般的にはオールロケが主流である。限られた予算の補助のために、ロケとして用いられたホテルや飲食店のクレジットを映画の内部に表示するなど、苦心の策も用いられたという。

ピンク映画の作風は作家も影響するが、それ以上に影響が強いのが会社側の要求である。一般的に作家側は芸術的・映画的な作風を望むのに対し、会社側は性描写などポルノとしてのクオリティを望む事が多い。このぶつかり合いの中で作品が生まれると言ってよい。
低予算・短期間で、作家性の強い新人を多く起用する事からピンク映画は一種のインディペンデントな作品に思われる事もあるが、ピンク映画そのものはむしろかつてのプログラムピクチャーの方に性格は近く、このような制限の中で作家側が独自のカラーを出す事が重要となる。
この「縛り」は会社によってまちまちであり、厳しく条件を要求しアダルトビデオに追随するような作品を求める会社もあれば、作家側に裁量を多く与えている緩慢な会社もある。作家主義が出易いのは当然後者であり、ミニシアター映画祭において上映されて「映画」として評価されるのはこのような作品である。
その一方で会社・ピンク映画に特化した観客に好評なのは前者において制作されたポルノとしての性格が強い作品という場合もあり、時として(ピンク映画に興味を持つ)一般映画ファンとピンク映画ファンにおいて評価の違いを生み出す事がしばしばある。

しかし、このような低予算・早撮りという制作形態はかつてのアメリカB級映画と共通しており、事実大手制作会社が一部の大作を除き自社制作から撤退し、社員監督を雇わなくなってからはアメリカのB級映画がそうであったように、ピンク映画が映画監督の養成期間であると同時に登竜門として重要な役割を果たしていた。

ピンク映画の出身には小沼勝のような「大家」から黒沢清周防正行のような「作家主義」の監督までおり、日本映画においてピンク映画の果たした役割の重要性が伺える。

しかし、近年映画産業の衰退を原因とした上映館の相次ぐ廃館やシネマコンプレックスへの転身によりピンク映画すらも上映と製作の機会が激減している。
また、ポルノとしてのライバルは相変わらずアダルトビデオやアダルトコンテンツなどであり、特に若い観客層を奪い続けている。

このため、Vシネマに代表されるビデオ作品が新人養成と監督への登竜門の役割を担いつつある。

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