天保の改革

Keywords: 天保の改革, 1843年, アヘン戦争, イギリス, 下関, 享保の改革, 人情本, 反射炉, 大名, 大塩平八郎の乱

天保の改革てんぽうのかいかく)は、江戸時代天保年間に行われた幕政や諸藩の改革の総称である。享保の改革寛政の改革と並んで、江戸時代の三大改革の一つである。貨幣経済の発達に伴って逼迫した幕府財政や各財政の再興を目的とした。

目次

幕政改革

12代将軍徳川家慶の信任を受け、老中に就任した水野忠邦が中心となり、質素倹約の重農主義を基本とした、享保・寛政時代への復古を目指した。一揆や打ちこわし、大塩平八郎の乱といった国内不安や、アヘン戦争、モリソン号事件などの対外的不安が幕府を取り囲む中、経済改革を中心に、綱紀粛清や軍制改革などが実施された。

改革は忠邦の腹心の鳥居耀蔵らとともに推進され、水野が退陣するまでの約3年間行われた。

綱紀粛正

倹約令を施行し、風俗取締りで芝居小屋の江戸郊外(浅草)への移転、寄席の閉鎖など、庶民の娯楽に制限を加えた。人情本作家為永春水や柳亭種彦などが処罰される。

軍制改革

イギリスにアヘン戦争に敗れたことにより、従来までの外国船に対する打払令を改めて、薪水給与令を発令し、燃料・食料の支援を行う柔軟路線に転換した。一方で江川英龍高島秋帆に西洋流砲術を導入させ、近代軍備を整えさせた。

経済政策

人返し令

幕府への収入の基本は、農村からの年貢であったが、当時は貨幣経済の発達により、農村から都市部へ人口が移動し、年貢が減少していた。そのため、江戸に滞在していた農村出身者を強制的に帰郷させ、安定した収入源を確保しようとした。

株仲間政策

高騰していた物価を安定させるため、株仲間を解散させ、経済の自由化を促進しようとした。しかし、株仲間が中心となって構成されていた流通システムが混乱してしまい、かえって景気の低下を招いてしまった。

上知(地)令(あげちれい)

じょうちれいとも言う。江戸大阪の周囲の大名旗本の領地を幕府の直轄地とし、地方に分散していた直轄地を集中させることで、幕府の行政機構を強化すると共に、江戸・大阪周囲の治安の維持を目的とした。上知令は大名や旗本が大反対したため実施されず、1843年の水野退陣のきっかけになった。

藩政改革

水戸藩

藩主徳川斉昭が先導し実行する。早い時期から改革が行われ、幕政改革にも影響を与えた。特産物の専売、領内の農地の検地を行い農村復興を図り、藩財政の建て直し目指す一方で、藩校弘道館の設立、藤田東湖などの登用を行い、積極的な人材育成を行った。これにより水戸学が飛躍的に広がることになり、幕末の思想に影響を及ぼした。

長州藩

藩主である毛利敬親に抜擢された村田清風が中心になり実行する。藩による専売制を緩和し、その代わりに商人たちに運上銀を課し、藩に収めさせた。また、下関を通る諸国の貨物に対し、資金を貸し与える越荷方と呼ばれる藩による金融業を始め、多大な利益を上げた。

薩摩藩

家老調所廣郷が中心になり実行する。藩が豪商から借り受けた借入金を250年という長期間での返還という強行策を実施し、事実上、藩の負債を帳消しにした。また、奄美大島で採れる甘藷を専売にし、琉球との貿易を積極的に行い、財政再建を行った。

肥前藩

藩主鍋島直正が実行する。陶磁器石炭の専売化、均田制の採用による本百姓体制の再建を実施した。また日本初の反射炉・大砲製造所の設立による軍備の増強・近代化を実施した。

改革の評価

天保の改革は、社会を混乱に導き失敗と判断される一方で、長州藩や薩摩藩はそれぞれ国情に応じた改革を実行した。その成果によって藩の財政は改善され、幕末には西南雄藩と言われる程の力を得ることができた。

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