国際連合

Keywords: 国際連合, 10月24日, 12月, 1919年, 1942年, 1943年, 1944年, 1945年

国際連合(こくさいれんごう、United Nations)は、国際連盟の反省をふまえ、第二次世界大戦時の戦勝国である連合国(United Nations)が中心となって、1945年国際連合憲章を採択して設立された国際機構。現在世界のほとんどの国が参加している。設立時の戦勝国は常任理事国として強い権限を保持しており、国連反対者の主要な根拠の一つとなっている。

United Nations
Nations Unies
Naciones Unidas
Объединённых Наций
合国
امم متحدة

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国際連合旗

(詳細)
公用語 英語, フランス語, スペイン語, ロシア語, 中国語, アラビア語
国連事務総長 コフィー・アナン1997年より)
創設 1945年10月24日
国際連合加盟国 191か国
国際連合本部所在地 アメリカ合衆国ニューヨーク市
公式サイト http://www.un.org/

加盟国の数は、191ヶ国 (2003年1月現在)。 本部は、ニューヨークアメリカ)。

現在の事務総長は、コフィー・アナン

国際連合は1945年10月24日にカリフォルニア州サンフランシスコで発足した。最初の加盟国は51ヶ国だった。

目次

国連の歴史

1943年10月にモスクワで開かれた米国英国ソ連による外相会議で「一般的安全保障に関する四ヶ国宣言」によって第二次世界大戦後に国際的な平和機構を再建する必要性が宣言されたのを受け、1944年8 - 10月に米国英国中華民国ソ連の代表がワシントン郊外のダンバートン=オークスで会議を開き、国際連合憲章の原案(「一般的国際機構設立に関する提案」)を作成した。

1945年4月25日、ドイツまたは日本に宣戦している連合国50ヶ国の代表がサンフランシスコに集まり、国際連合設立のためのサンフランシスコ会議を開き、ダンバートン=オークス会議で作成された国際連合憲章原案に基づいて、国際連合憲章が採択された。

United Nationsという語が初めて用いられたのは、1942年1月1日連合国共同宣言(ワシントン宣言)()においてであり、戦後の国際的な平和組織の名称として用いることについては ダンバートン=オークス会議で提案されていた。提案者であるフランクリン・ルーズベルト大統領は、国際連合設立に尽力しながらもサンフランシスコ会議における国連憲章調印の数週間前に亡くなっていたが、彼に対して敬意を表すため、この名称を採用することが会議の出席者全員によって合意された。

1919年 - 1946年まで存在した国際連盟との間には法的な連続性はないが、国際司法裁判所国際労働機関等の機関を連盟から引き継ぎ、また、旧連盟本部施設も連盟から移管されており、部分的には継続した組織といえる。

thumb|right|ニューヨーク市の国連ビル

国連の目的

国連の主な機関

総会

全加盟国で構成される総会は、各国が1票の表決権を有し、国際連合の関与するすべての問題を討議する。全会一致制で半ば機能不全に陥っていた国際連盟の反省から、総会の評決には重要問題については3分の2、一般問題については過半数で決する多数決制を取り入れた。ただし、総会の決議は加盟国または安全保障理事会への勧告までしか権限は無く、強制力・拘束力をもっていない。

安全保障理事会

国際連合では安全保障理事会の権限が強化され、軍事参謀委員会の助言に従って国連軍を平和維持のために行使する権限が与えられた、安全保障理事会の常任理事国である5大国拒否権を持っているため、冷戦時代は紛争当事者でもある常任理事国同士の対立により効果的に機能できなかった。

経済社会理事会

経済的、社会的、文化的、教育的及び保健的活動を所管するが、具体的な活動は、国際労働機関(ILO)のような、経済社会理事会と連携協定を結ぶ外部の国際機関(専門機関)が行うことが多い。また、人権に関する活動も経済社会理事会が担当する。

信託統治理事会

国際司法裁判所

事務局

国連事務局は、各国の利害を離れて中立的な立場から国連の運営を行う機関。 国連事務総長が、統括する。

国連の公用語

国連の公用語は、常任理事国の言語である英語フランス語中国語ロシア語と、その他世界で広く用いられているスペイン語アラビア語の6言語である。公用語については総会決議2号(1946年第1回総会)(英語、フランス語、中国語、ロシア語、スペイン語)および[http://daccess-ods.un.org/access.nsf/Get?Open&DS=A/RES/3190(XXVIII)&Lang=E&Area=RESOLUTION 総会決議3190号(1973年第30 回総会)](アラビア語)等で定められている。公式会合での発言は最小限これらの公用語に翻訳され、また、公式文書もこれらの公用語に翻訳される。

軍備管理と軍備縮小

1945年国連憲章は、「世界の人間および経済資源の軍事転用の最小化」を保証する規則のシステムを思い描いた。核兵器の到来は憲章の署名後わずか数週間に来て、軍備制限と軍縮の概念に即時の推進力を供給した。実際、国連総会の第1回会合 (1946年1月24日) の第1の決議は、「原子力の発見によって提起された問題について交渉する委員会の設立」とタイトルをつけられ、「核兵器および大量破壊に繋がる他のすべての主要な武器の国家による武装からの除去」のための特定の提案を行なう委員会で扱われた。

国連は、多国間の軍縮問題に取り組むためにいくつかのフォーラムを設立した。主要なものは国連総会および国連の軍縮会議の委員会だった。 協議事項には、核実験禁止、宇宙軍備制限、化学兵器を禁止する努力、核と従来の軍縮、核兵器自由地帯、軍事予算の縮小および国際的な安全保障を強化する手段の考察が含まれる。

軍縮に関する会議は、多国間の軍備制限および軍縮協定の交渉のための国際社会によって設立された唯一のフォーラムである。それは、5つの主な核保有国(中華人民共和国フランスロシア連邦英国および米国)を含む世界の全ての地域を代表する66人のメンバーで構成される。会議が形式的に国連の組織でない場合、その会議の事務局長である代理人によって国連に関連づけられる。総会によって採択された決議は、しばしば特定の軍縮問題を考慮することを会議に要求する。会議は、毎年国連総会にその活動について報告する。

平和維持

平和維持は国連の最も重要な任務であり、憲章の冒頭である第1条1において国連の目的として定められている。国連が安保理の決定によって平和の維持・回復のために軍事的措置を含む強制力を用いることは憲章第7章によって許されているが、常任理事国である米ソの対立により冷戦中は安保理が機能せず、唯一の例外である朝鮮戦争における国連軍の結成以外、第7章が用いられることはなかった。これに代わる平和維持の手段として、紛争当事者の同意を前提とした非強制的活動が総会の決議に基づいて行われており、その最初の例は1956年に勃発した第二次中東戦争の停戦監視を目的とした国連緊急軍(UNEF)の派遣である。冷戦後には第7章を根拠とした総会決議に基づく平和維持活動も行われているが、憲章が予定していた本来の国連軍の結成は依然として行われていない。

国連平和維持活動は、各国の分担金によって支えられている。この分担金は通常予算と同様の評価基準によって決定されるが、安全保障理事会(全ての平和維持活動はここで承認される必要がある)の常任理事国である5ヶ国には追加資金が課される。この追加資金は、発展途上国の平和維持活動分担率を軽減するために用いられる。

2000年12月に、国連は通常予算と平和維持活動予算の分担率の評価基準を変更した。平和維持活動の評価基準は半年毎に見直されることとなった。米国はこの低減した分担率で平和維持活動分担金を支払おうとしており、この分担率での支出に議会の承認を得て、滞納金に充てようとしている。

国連平和維持活動支出総額は1994年から1995年にピークに達し、1995年には35億ドル強に及んでいた。2000年に国連通常予算と平和維持活動予算から負担した国連平和維持活動費総額は22億ドル台であった。

国連平和維持軍は1988年のノーベル平和賞を受賞した。

様々な平和維持活動への参加に対して、国連の合意を実現した各国の軍事要員を対象とした栄典として各種の国連平和賞 (United Nations Medal) が用意されている。国連平和賞の内、最初のものは国連従軍記章 (United Nations Service Medal) であり、朝鮮戦争に参加した国連軍に与えられた。

人権

人権の追求は、国際連合を設立した主要な目的の一つである。第二次世界大戦が残虐行為と虐殺を引き起こしたため、このような悲劇の再発防止は新しい国際機関の任務として当初から合意されていた。初期の目的は、人権侵害の申し立てを吟味し、行動を起こすための法的な枠組みを構築することだった。

国連憲章は加盟国に「人権の普遍的な尊重及び遵守」を促進し、これを達成するために「共同及び個別の行動」をとる義務を課している。世界人権宣言は、法的拘束力はないものの、「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準として」1948年に国連総会において採択された。国連総会は定期的に人権問題を取り上げている。経済社会理事会 (Economic and Social Council、ECOSOC) の下にある国連人権委員会 (UN Human Rights Commission、UNHRC) は、主に調査と技術的な支援を通じて、人権の推進を直接担当する。国連人権高等弁務官は、国連の全ての人権に関する活動を担当する。

国連とその下部機関は、世界人権宣言に銘記された原則を支持し、実施する中心的な存在である。その一つの例は、民主制へ移行する国々への国連による支援である。自由で公正な選挙の実施、司法制度の改善、憲法の草案作成、人権担当官の訓練、武装勢力から政党への移行等について、国連による技術的援助が世界における民主化に大いに貢献している。

国連では、女性が国内の政治・経済・社会活動に完全に関与する権利を支援するための議論も行っている。

国連の財政

国際連合システムは2つの方法で予算をまかなう。

1つは加盟国からの分担金である。 分担金は、国際連合およびその専門機関によって2年ごとに評価されて一般会計に繰り入れられる。国際連合の場合には、国際連合総会が一般会計を承認し、各加盟国が分担金の割合を決定する。分担金の割合は、各国の国民所得に様々な要素を加えて評価され、支払いを行う各国の相対的な負担能力に基づいて計算される。国際連合総会は、国際連合が、そのオペレーションの費用を分担するいかなる参加国にも、過度に依存してはならないという原則を決定した。したがって、どの参加国にも分担金の最大額に上限がある。2000年12月に、総会は、それらを改善するために、評価基準を現在の国際化された経済状況を踏まえて改訂することに合意した。

その合意の一環として、一般会計の分担金の割合の上限は25 - 22パーセントに減らされた。米国は、この上限値で分担金の額が評価される唯一の加盟国である。しかし、米国は数億ドルを滞納している(アメリカ合衆国を参照)。ほかのすべての加盟国の分担金の算定額はそれより低くなっている。2000年に採用された評価の基準の下では、2001年の通常予算への他の主な負担国は日本国 (19.63%)、ドイツ (9.82%)、フランス (6.50%)、英国 (5.57%)、イタリア (5.09%)、カナダ (2.57%)およびスペイン (2.53%)であった。

一般会計に含まれない、国際連合児童基金 (UNICEF)、国連開発計画 (UNDP)、国連人口基金 (UNFPA)、世界食糧計画 (WFP)のような特別の国連のプログラムは、加盟国の政府からの加盟国の自発的な支払金によって賄われている。2001年には、米国からのそのような支払金がおよそ15億ドルになるだろうと推測される。この多くは、困窮する人々のために寄贈された農産物の形となっているが、大多数は資金による納入となっている。

国連改革

現在国連では、安全保障理事会の拡大など、様々な改革が唱えられている。

イラク戦争では、その機能を果たすことが出来なかったと言ってもいい程に、大国同士の意見が分裂し、国連が二分した。

日本ドイツインドブラジルなどは、第二次世界大戦のまま変化することのなかった安全保障理事会の改革を主張し、今のままでは時代に適応していないとして発展途上国枠も設けるなど常任理事国の拡大を唱えている。

しかし、一方でカナダ等は、そもそも安全保障理事会の権限が強すぎるとして総会の権限強化を唱えている。

日本との関連

経緯

日本は1956年に、80番目の加盟国として国連に加盟した。以降、経済社会理事会の理事国を1960年以来14期(1982年以降は連続して再選)務め、また安全保障理事会非常任理事国としてブラジルと並んで最多の9回選出されている(9回目の任期は2005年1月から2年間)等、積極的に国連に貢献している。また、国連事務次長を務めた明石康、国連難民高等弁務官を務めた緒方貞子等、国連の幹部職員として活躍する日本人も少なくない。

日本の外交の中軸は日米同盟国連中心主義の二本立てあり、国連を中心として多国間外交を行ってきている。国際的な安全保障は国際連合の集団安全保障体制に依存しており、日本国憲法にも国連憲章の集団安全保障と同じ理念が盛り込まれている。 武力に頼らず経済的な成功によって大国となったことと、自国の都合で国際連合を軽視する他の超大国と異なり国際的な機構に参加し、分担金も遅滞なく払い込んでいることから、国際連合内では一定の信頼を得ている。一方、分担金に見合った日本職員の少なさを不満とする批判があるが、分担金は加盟国のGNPを元に算出されるのであり、職員数はGNP比と関係なく国連での就職に応募する個人の割合で決まる。これは単に日本人の語学力不足に起因する問題にすぎないと思われる。 費用(分担金)と効果(国益)の具体的な検証が必要であるという主張があるが、国連の目的は諸国の行動の調整をすることであって、分担金に応じた国益の優先付けを行なう機関ではない。国連の行動の中立性を保つために、国連予算の分担金は特定の国が突出しないように上限が設けられている(予算の項目を参照)。

現在

2004年現在、日本は安全保障理事会常任理事国入りへ目指して大きく動いている。 その理由として、日本は常任理事国となって国際的な発言力を強めたいという面ばかりが大きく取り上げられているが、もう一つの大きな理由としては非常任理事国は選挙によって選出されるため、財政面においても毎回の選挙に莫大な資金を要することなどもあってかなり大きな負担となっており、かといって立候補せず経済大国として世界の安全保障に対し無関心と言うわけにもいかないため、選挙といった手順の無い恒久的な存在である常任理事国となりたいというのが裏の本音でもある。

しかし、日本は核兵器の不保持や平和憲法による武力行使否定が国是であるため、他の常任理事国のような国際紛争への武力介入をすることはできない。さらに、現在の日本政府の外交における態度がアメリカ追随としか見られていないため、「独自の態度を見せない日本が常任理事国になったところで、アメリカが常に二票持つ事になるだけ」と批判する声もある。PKO(平和維持活動)には限定的に日本は参加している。
むしろ、経済大国でありながら、他国と異なって武力を用いない独自の態度が日本への信頼感の一部を構成している。 

2004年アナンが国連の事務総長としては初めて来日し、初の国会演説を行なって、日本の対イラク支援政策や自衛隊派遣を高く評価するとともに、北朝鮮による日本人拉致問題にも言及したが、これはイラク問題において国連を軽視して独走するアメリカへの牽制と、一部では見られている。

United Nationsの訳語

United Nationsという語は、戦後の国際機構の名称となる以前に、第二次大戦において枢軸国と対立した国家連合の名称として、Alliesと共に用いられていた。

日本におけるUnited Nationsに対する訳語としては、戦争中の国家連合の名称としては「連合国」、戦後に設立された国際機構に対しては「国際連合」が用いられている。この相違をとらえて、「戦後、連合国と訳した場合に国民が感じる抵抗を和らげるため、外務省が意訳を行った」とする意見があるが、ダンバートン=オークス会議における提案として1944年10月に発表された国際連合憲章の原案(「一般的国際機構設立に関する提案」)を同年12月に外務省が翻訳した際には既に「国際連合」という訳語が用いられており(外務省条約局「条約集号外第十八号」)、訳語の選択に当たって戦後に配慮がなされたというのは明らかに誤りである。

また、日本と同様に漢字を使用している中国において、戦後の国際機構の名称として「連合国」という訳語を用いている点をとらえて、「中国においては戦前の諸国連合との連続性が意識されている」とする主張もあるが、戦前の諸国連合の名称としては「連合国」ではなく「盟国」が主に用いられており、戦前との連続性がどのように意識されているかについて、訳語の点から論じるのは困難である。

敵国条項

国連憲章に旧敵国条項(国連憲章第107条)が存在しており、第二次世界大戦時の連合国(= 国連)と戦った枢軸国側(日本ドイツルーマニアブルガリアハンガリーフィンランド)が、敵国扱いになっている。これは日本ドイツなどが国際連合成立時にはまだ被占領中だった状態を反映しており、日本ドイツなどが国際社会に復帰し国際連合に正式に加盟した時点で死文化した。日本ドイツではその扱いを撤回させる運動が展開されているが、国連憲章の変更は常任理事国を含む加盟国の3分の2の賛成が必要であるため、実現していない。

関連項目

外部リンク

コフィー・アナンの国会演説


65px|国際連合旗 国 際 連 合
United Nations
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事務総長

国連機関
総会 | 安全保障理事会 | 経済社会理事会
信託統治理事会 | 事務局 | 国際司法裁判所
専門機関


国連決議
総会決議 | 安全保障理事会決議

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