北方ルネサンス建築

Keywords: 北方ルネサンス建築, 1458年, 1490年, 1504年, 1506年, 1540年, 1556年, 1616年, 1619年, 16世紀

北方ルネサンス建築は、アルプス山脈以北に伝播したルネサンス建築を便宜的にまとまたもの。

目次

概説

16世紀初期に、王侯貴族によってラテン文学が積極的に導入されるようになると、これにともなってイタリアで培われたルネサンス建築の意匠も紹介され、東欧諸国、フランスドイツオランダスペイン、そしてイギリスに新しいデザインの着想をもたらし、イタリアの建築家が雇われ、あるいはまた熟練職人によってその形態が模倣された。

しかし、後のバロック建築新古典主義建築と比較すると、ヨーロッパ諸国に与えたルネサンス建築の影響力は、その範囲がかなり限定されている。というのも、フランスとスペインはイタリアの領地獲得をめぐる紛争状態にあり、ドイツとオランダは宗教改革による動乱の渦中にあった。イギリス国教会はカトリックとの不和によって分断されていた。また、特にフランス、ドイツ、イギリスにおいては、ゴシック建築の伝統を完全に棄却することはなかった。

東欧諸国のルネサンス建築

ハンガリーロシアポーランドオーストリアなどの東欧諸国では、上記の国々に比べるとルネサンス様式の吸収は、実はずっと早く、特に1458年から1490年に渡るマーチャーシュ・コルヴィヌス治下のハンガリーでは、豊かなルネサンス芸術が開いた。

彼はイタリアから石工や彫刻家を招き、多くの仕事をさせたことが発掘により証明されている。これらの技術者たちはロシアにも赴き、ロシアのルネサンス建築を装飾したが、プランそのものには手をつけず、ビザンティン建築の要素は完全には放棄されなかった。1504年着工の聖ミハイル大聖堂はその代表例だが、1506年起工のハンガリーのエステルゴム大聖堂のバコーツ礼拝堂といった建築は、平面プランにおいてもルネサンス建築として成立している。

フランスのルネサンス建築

地理的にも近く、多くの芸術家が渡ってきたフランスでは、ルネサンスの造形は、比較的早く吸収された。しかし、最初にその形態が表現されるのは、もっぱらミラノ公国占有の前哨基地となったロンバルディア地方に限られたものだった。16世紀 初期にフランスで好まれた複雑な螺旋階段は、明らかに当時この地方に滞在し、死去したレオナルド・ダ・ヴィンチによるものである。

16世紀半ばになると、ロンバルディアとは異なった経路でルネサンスが導入され始めた。ロッソ・フィオレンティーノやプリマティッチオといったマニエリスム芸術家がフランスに滞在し、影響を与えたのである。1540年には、セバスティアーノ・セルリオが宮廷建築家としてイタリアから招かれ、建築論を次々に出版した。同時にフェリベール・ド・ロルムやジャン・ビュラン、ピエール・レスコーら、イタリアに留学した建築家たちも活動し始め、ルネサンスを見事にフランス風に処理していった。

イギリスのルネサンス建築

イギリスでのルネサンス建築の導入は大変厳しく、地理的な遠さもさることながら、やはり宗教改革による影響が大きかった。イタリアの建築家たちによる建築書が全く紹介されなかったわけではないが、16世紀半ばに至るまで、イギリス建築は殆ど鎖国に近い状態であったと言える。1530年代から1620年代にかけて、やっとルネサンスらしき様式が導入されるようになるが、フランス、オランダ、ドイツを経由して屈曲したものであったし、ゴシック様式の伝統は、イギリスでは決して死に絶えることはなかったようである。結果、1556年に起工したバーリィ・ハウスでは、フランスの凱旋門とイギリスの伝統的装飾を、オランダの職人が製造するという恐るべき混淆がなされている。

トッリジアーノやジョン・シュートといった建築家たちは、イギリスにおけるルネッサンスの導入に多少の影響を与えたようであるが、決定的な大転換は起らなかった。しかし、17紀に入ると、イニゴー・ジョーンズによって、イタリアのルネサンス建築は、ほぼそのまま持ち込まれるようになった。1616年起工のクイーンズ・ハウスや1619年起工のバンケティング・ハウスは、彼の建築家としての力量を端的に示してる。実際、彼は近代的な意味でのイギリスにおけるはじめての建築家であった。

主要建築物

フランス

スペイン

ドイツ

オランダ

イギリス

関連項目

Keywords: 北方ルネサンス建築, 1458年, 1490年, 1504年, 1506年, 1540年, 1556年, 1616年, 1619年, 16世紀