勧善懲悪
Keywords: 勧善懲悪, 四字熟語, 坪内逍遥, 小説神髄, 性善説, 性悪説, 日本, 時代劇, 正義
勧善懲悪(かんぜんちょうあく)とは、「善を勧め、悪を懲しめること」を意味する四字熟語である。勧懲(かんちょう)と略される事もあるとされる。
概要
この様式は、時代劇やヒーロー戦隊番組におけるシナリオにおける典型的パターンである。これは善玉(正義若しくは善人)と、悪玉(悪役・悪党・搾取する権力者など)が明確に分かれており、最後には悪玉が善玉に打ち倒され、滅ぼされたり悔恨するという形で終結する。一般にはハッピーエンドとされる形で物語は終幕を迎えるパターンである。
坪内逍遥の『小説神髄』では、江戸時代の読本によく見られる勧善懲悪を説く小説を、勧懲小説と呼んで時代遅れであるとし、それを否定している。なお同書中においては、模写小説にて人情を著す事の方を尊んでいる。
勧善懲悪と現実
勧善懲悪は実に単純明快、正しい者こそ勝利するという物である。現実には「勝てば官軍」とも言われるが、勧善懲悪においては、正しい側は武力差の圧倒的な劣勢も、後ろ盾といった助力の貧困さをも覆し、しばしば偶然の結果に助けられて勝利する。これは第二次世界大戦において、日本が軍事政策上において被った手痛い失敗を完全に無視しなければ、到底実際に起こると考える人も居なかろう。あくまでも「フィクションであるという前提があって初めて楽しめる娯楽作品」に顕著な傾向である。
さて第二次世界大戦に於ける日本にあっては、己こそに正義があると信じて戦線を拡大した訳であるが、正しかろうと誤りだろうと、当時の日本には拡大し過ぎた戦線を維持するだけの能力が無かった。まして期待された植民地政策によって日本に流れ込むであろう占領国の物資も、資源採取に必要な技術力や開発力が無ければ採取できず、輸送能力があってこそ初めて動く物であるし、国内加工産業が充分に機能しなければ、それら物資を製品として利用する事も侭成らない。
勿論、当時の日本に正義があったかを論ずるつもりも無いし、植民地政策を否定や肯定をする訳ではないが、実質的に明確な戦略も無く、日本の拡大し過ぎた戦線は破綻した。其処には正義と信じて武力を行使した日本が最後に期待した「幸運=神風」も無かった。結果的に日本は負けている。
細かい事例を出すまでも無く、「正しければ勝つ」は単なる幻想上の物語である。しかしこれは逆に、普段は概ね清く正しく生きている大多数の善良な人々にとって、「悪でも強ければ勝つ」とは考えたくは無いだろうし、またそうであって欲しくも無い事であろうが、実際には力によって正義にせよ悪行にせよまかり通りのが現実である。
このため勧善懲悪は、それら多くの「力は無くとも概ね清く正しく生きている善人」には、ささやかな復讐心(ルサンチマン)を満足させる、他愛ない娯楽として愛好されている。これらは絶えず様々なストーリーが提供され、これらの人々の心を満たしていると思われる。
勿論、世の中の多くの人が望む形で社会は動いており、その大多数の「概ね善良な人々」によって社会は維持されている。このため、正しい事がまかり通り、悪や誤りは正される。多くの人が正しく有れと望む限りに於いて「正義は勝つ」のである。
