全日本女子プロレス

Keywords: 全日本女子プロレス, 10月, 11月14日, 1968年, 1983年, 1987年, 1989年, 1990年, 1992年

全日本女子プロレス(ぜんにほんじょしぷろれす、正式名称全日本女子プロレス興業株式会社、通称全女)は、現存する中では、男子の団体も含め日本でもっとも歴史のあるプロレス団体。1968年6月4日に旗揚げ戦を行った。

目次

タイトル

歴史

市民会館などを中心に興行を行っていた。最盛期には年間興行数が200を超え、全団体でも最多であった。

ビューティーペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、客層も一変する。

女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが作られる。

この際にリレハンメルオリンピックの米国代表、トーニャ・ハーディング(英語)を獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現せず。女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂浜口京子らが出場した。

主な全女出身のレスラー

全女でのデビュー年別。

昭和49年

アイドルレスラーの草分け的存在。引退。

昭和50年

ビューティーペアを結成し一時代を築いた。ビューティーペアは第二十八回紅白歌合戦にも出場している。引退。
ビューティーペアを結成し一時代を築いた。インストラクターとして活動していたが死去。

昭和52年

小柄ながら長期間王者として君臨しつづけた偉大な王者。引退後はコーチ業につき、J'dで一時現役復帰、同団体の選手を指導していた。現在も現役。

昭和53年

元アイドル歌手のアイドルレスラー、オールパシフィック王者。引退後は新興宗教の教祖に。
全女退団後もレスラーを続け、26年以上も現役を続けているベテランレスラー。

昭和55年

クラッシュギャルズとして一世を風靡した。引退後芸能活動をしていたが復帰、GAEA JAPANを旗揚げし、2005年に再び引退。
クラッシュギャルズとして一世を風靡した。一時レーサーを志していたが結局復帰し、2005年に再び引退。
クラッシュギャルズと激しい抗争を繰り広げた。引退したが、窮地に陥った全女に特別出演している。

昭和56年

JBエンジェルスとして山崎五紀とともに活躍した。後にジャパン女子プロレスに移籍、現在はLLPWに所属。
JBエンジェルスとして立野記代とともに活躍した。引退。

昭和58年

クラッシュギャルズ引退後の全女を支えた。金網の上からのギロチンドロップは衝撃を与えた。プロレスを辞めた後、プロゴルファーを目指している。

昭和60年組

試合中、首の骨を折り長期欠場するも復活、デンジャラスクイーンと呼ばれるようになる、団体対抗戦時代には神取忍と血みどろの抗争を繰り広げた。
プロレスラー佐々木健介の妻となり子供も出産するが現役ママさんレスラーとして活躍。引退後もマイクアピールの巧さを活かして、旦那の活動のサポートを行っている。
北斗晶と海狼組(マリンウルフ)を結成していた。北斗とともに豊田、山田と激しい抗争を繰り広げた。その後も中堅のポジションで、完成度の高いレスリングを披露するが首を痛めて引退。
クラッシュから受け継いだ格闘路線の選手で、総合挌鬪技にも何度か出場している。1997年の選手大量離脱事件後も残留していたが、2003年にAtoZを旗揚げ。若手時代は西脇充子とファイヤージェッツを結成していた。
堀田祐美子とファイヤージェッツを結成していた。現在は引退して魁皇夫人に。(1999年6月12日挙式)

昭和61年組

本名宍戸江利花、父親が在日アメリカ軍の軍人。ブル中野と激しい抗争を繰り広げた。独特のキャラクターからCMなどにも出演している。
全女時代は特に目立った功績はないが、後にマスクを被り、CoogaとしてJ'd黎明期に活躍した。現在は引退。元十両力士若隼人と結婚し、夫婦で飲食店を経営している。

昭和62年組

柔軟な体と跳躍力を誇り、ゾンビとまで呼ばれるしぶとさを持つ。その華麗さとしなやかさから、最も女子プロレスラーらしいプロレスをするともいわれる。
1997年の選手大量離脱事件後の全女を支え続け、何度も王者についた。全女脱退後はフリーとして活躍。
回転してのフォール技や、日本海の名を冠した必殺技を多く持つ。
豊田真奈美の同期でライバルと言われていた。頸椎ヘルニアで長期欠場後復活し不死鳥と呼ばれた。
豊田とタッグを組んで王者となるも、シングルではライバルとして戦い続け、ついには豊田と髪切りデスマッチを行うに至った。
1997年の7月に退団しGAEA JAPANに移籍。居酒屋を経営しつつ現役を続行していたが、2004年限りで引退。
170cmを越える恵まれた体格を持つものの大して活躍できず、北斗晶に弟子入り。ラス・カチョーラス・オリエンタレスとして活躍した。現在はNEO所属。必殺技は元祖デスバレーボム
三田の後に続いて北斗晶に弟子入り。二人は北斗の脱退後もラス・カチョーラスとしてタッグで活躍、全女倒産後はフリーとして各団体から引っ張りだこだった。2003年に引退し、AtoZのエージェントマネージャーに就任したが、堀田に挑発されて復帰。

昭和63年組

そのプロレスセンスから天才とも言われるレスラー。楽しさと厳しさを併せ持つ名レスラーで全女離脱後は新日本女子プロレス(現NEO)を旗揚げする。
デビュー前はモデルもしていたというアイドルレスラー。良くとおる声でマイクアピールも得意。井上京子とのタッグで第100代WWWAタッグ王者となった。
デビューまもなく首の負傷から二年近くの欠場をしていた。メキシコ留学もしており、ルチャを得意とする。1997年に離脱しARSION旗揚げに参加する。

平成元年組

ソバット、裏投げを武器に活躍。ドーム興行においては仮面を被りブリザードYuki角川書店少年エースの同名漫画とのタイアップ)としてデビューするもぱっとしなかった。既に引退済み。一時期アルシオンの広報も務める。
フットスタンプを得意とし、若手時代はピーターパンと呼ばれていた。選手の大量離脱後も全女に留まり、WWWAシングル王者にも就いた。2003年に退団しフリーとなる。時々覆面レスラーZAP-Iに変身する。
素顔では正統派、覆面レスラーZAP-Tでは悪役とキャラクターを使い分ける。現在全女では最古参。

平成2年

蹴りの得意な選手で、新人時代に一度引退したが復帰した。テコンドーなども学んでいる。

平成4年

小柄ながら体操経験があり、デビュー前からオリジナルの空中技スカイツイスタープレスを準備していた変わり種。現役はすでに引退している。

平成8年

倒産後の全女において活躍し、世界王者にもつく。小柄ながらもスポーツ万能な選手で2003年にフリーとなったが、2005年1月7日に引退。
中西百重との「モモナナ」で人気者になった。今の全女のエース。
納見佳容との「ミホカヨ」で人気者になった。2001年に引退。
デビュー時から本名の藤井巳幸で正統派として戦っていたが、2003年にダンプ松本に弟子入りし、スキンヘッドに蠍のペイントを塗って変身。極悪同盟のメンバーになる。

平成11年

デビュー時は本名の塩谷良美で戦っていたが、怪我をし退団したが、2002年12月に再デビューし、2003年1月に改名。

制度

松永一家

兄弟一族で全女を立ち上げ、運営している。兄弟には格闘技出身者が多く、柔拳興行(ボクシングと柔道の異種格闘技対決が売り物の格闘技興行)の経験者もいる。そのことからしばしば全女では異種格闘技戦が行われた。

地方興行

全女は全国津々浦々を巡業するスタイルで、最盛期には年間250試合近くも行っていたという、これは男子とくらべてもかなり多い数である。選手の知名度のみならず、緻密なスケジューリング、地元とのパイプがなければ難しく、既存の女子団体でこれを行えるのは全女くらいか。ハードな巡業は選手に雑草魂を植え付けるといわれている。

三禁

煙草、男の三つを嗜んではいけないという掟。全女の選手には未成年も多いため、このようなルールができたと思われる。

25歳定年

かつては25歳の選手は全女から退団するという暗黙の了解があった。また年を取り人気の落ちた選手には、会社から有形無形のプレッシャーが掛けられ引退への道を進むこととなる。ブル中野がこれを破って現役続行したことから事実上はなくなった。

上下関係

いわゆる体育会系の厳しい上下関係があり、いじめなども有ったとされる。

毎年のように入団する選手が居た昭和60年代以降は、入団年によって昭和(平成)xx年組と分けて呼称されていたが、入門希望者の減少等の要因によりそういった呼称はあまり見られなくなった。

ミゼットプロレス

いわゆる低身長症の人間が行うプロレス。コミカルな面が強く、彼らを笑い物にしているとして一部の人権団体からは非難があるとされるが、これも立派なプロレスであり、全女の興行には欠かせないものである。

関連項目

参考資料

外部リンク

Keywords: 全日本女子プロレス, 10月, 11月14日, 1968年, 1983年, 1987年, 1989年, 1990年, 1992年