伊能忠敬
Keywords: 伊能忠敬, 1745年, 1762年, 1794年, 1795年, 1800年, 1801年, 1802年, 1803年
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伊能忠敬の銅像(東京・富岡八幡宮)
伊能忠敬 (いのう ただたか(敬意を表して忠敬はちゅうけいとも)、延享2年1月11日(1745年2月11日) - 文政元年4月13日(1818年5月17日))は江戸時代の測量家。
はじめて測量された日本地図を作成した。その大日本沿海與地全図は大変精度の高い地図であった。最初の測量は蝦夷地(現在の北海道)において行われた(1800年)。地図は没後の1821年に、その弟子たちによって完成。
後年(1828年)、シーボルトがこの日本地図を国外に持ち出そうとしたことが発覚。これに関係した日本の蘭学者(至時の息子高橋景保ら)などが処罰された(→シーボルト事件)。
伊能忠敬は、深川界隈に住居を構え、全国測量の旅に出かける際は、安全祈願のために、富岡八幡宮に必ずお参りに来ていたことから、2001年に当八幡宮の境内に銅像が建立された。
| 目次 |
年表
- 1745年 上総国山辺郡小関村の名主・小関五郎左衛門家で生まれる。
- 1762年 (18歳)下総国佐原の酒造業を営む伊能家に婿養子に入る。
- 1794年 (50歳)隠居し、家督を長男景敬に譲る。
- 1795年 (51歳)江戸に出て幕府天文方高橋至時に暦学天文を学ぶ。
- 1800年 (56歳)第1次測量
- 1801年 (57歳)第2次測量
- 1802年 (58歳)第3次測量
- 1803年 (59歳)第4次測量
- 1805年 (61歳)第5次測量
- 1808年 (64歳)第6次測量
- 1809年 (65歳)第7次測量
- 1811年 (67歳)第8次測量
- 1815年 (71歳)第9次測量
- 1816年 (72歳)第10次測量
- 1818年 (74歳)死去、喪を秘して地図製作を続行。
- 1821年 『大日本沿海輿地全図』完成、喪を公表。
特記
「伊能大図」については、2001年、アメリカ議会図書館で207枚発見。そこに欠けていた4枚については、2004年5月に、海上保安庁海洋情報部で保管されている、縮小版の写しを補完することでそろった。結果、全てが原版とはいかないまでも、その全容がつかめるようになった。
なお、補完した4枚中、宗谷付近については、当時、伊能がその弟子であった間宮林蔵に、依頼して行わせた測量結果を基に作図が行われた。
関連
- 映画
- 「伊能忠敬-子午線の夢-」(2001年東映 監督:小野田嘉幹)
- TVドラマ
- 「四千万歩の男・伊能忠敬 人生ふた山、55歳の挑戦 妻が支えた日本地図作り」2001年NHK正月時代劇
参考文献
- 大谷亮吉編著『伊能忠敬』岩波書店。ISBN 400009887X
