人名
Keywords: 人名, 1930年代, 1989年, アイスランド, アイユーブ朝, アゼルバイジャン, アニミズム, アフガニスタン, アブラハム, アブー=バクル
人名(じんめい)とは、自然人すなわちヒト個人の名前一般を指す概念である。現代日本での人の名前は姓と名からなるため、姓名とも呼ばれる。(他に、名前、氏名などとも。)
漢字文化圏において姓と氏さらには日本における苗字は本来は互いに異なる概念だが、今日では同一視されている。日本でも明治維新以前は氏(ウジ:本姓)と苗字に代表される家名は区別されていた。名は名前とも呼ばれる。
名前は、人々が互いを認識し、指示し、コミュニケーションをとる際に使われる。ただし、法律上の姓名がそのまま用いられる場面は限られており、名前を元にした呼び名、あだ名、敬称との組み合わせなどが用いられることも多い。
名前と人間の関わりは古く、名の使用は有史以前に遡るとされ、姓などの氏族集団名や家族名の使用も既に古代ギリシャなどにその形跡があるとされる。また、非近代社会においては様々な理由で幼児に名前をつけない慣習が見られる地域が多かったが、1989年に国連総会で採択された子どもの権利条約には、全ての子どもが出生と同時に氏名を有する権利があると定められている(第7条)。
| 目次 |
人名の構造、使用とその多様性
人の名前は、多くの文化で、2つかそれ以上の種類の部分からなる。わかりやすい例をひとつ挙げれば、その個人が属する「家」の名前と、その個人の名前である。多くの場合、「所属を示す名前」と「個人を指す名前」との2種類のいずれか、またはその組み合わせが用いられる。だが、その数や扱いについては様々な習慣、制度が見られる。
構成要素の数
姓名の構成要素の数、すなわち、ある個人のフルネームが幾つの部分から構成されているかは、文化によって異なっている。アメリカ大陸の先住民族など、個人を指す名前のみを用いる文化もある。サウジアラビアのように、3代前にまで遡って4つの部分からなるフルネームを用いることがあたりまえの文化などもある。ブラジルのように一貫していない場合もある。(これは、姓を持つ習慣が普及しつつあるが、完全に普及し切っていないためであると考えられる。)
また、親子の間での姓をめぐる取り扱いも文化によって異なる。子供が両親のいずれか、あるいは両方の名前を受け継ぐ習慣や制度があるかどうかは文化によって異なっている。受け継がれていくのは姓であるとは限らず、姓を持たない文化においては、「純一、太郎の息子、英之の孫」などといった形で名前が受け継がれていくこともある。インドでは、逆に「純一、晃の父」などといった形で、ある子供が生まれた時に与えられる名前に、その子供の子供の名前として使われるべき名が含まれているものもある。
構成要素の順序
姓名の構成要素の順序についても、民族、文化圏により異なることが知られている。日本、中国、韓国、ハンガリーなどでは名前は姓、名の順をとり、フルネームで呼ぶ場合にはその順で呼び、フルネームを記す場合にはその順に記す。他の多くの文化では、順序が逆になる。
名前を記す際などに、その一部を省略することも多く行われる。英語圏ではミドルネームはイニシャルだけが記されることが多くある。スペイン語圏では、複数部分からなる姓の一部が省略されることがある。ドイツ人のファーストネームは洗礼によってミドルネームが与えられると使われなくなることがあった。
名前の変更
基本的には、人名は通常、慣習や法などによって決まっている部分(姓)や生まれた時に両親などによって与えられ、それ以後変わることのない部分(名)のいずれか、またはその組み合わせから成ることが多く、生涯を通じて変わらない文化も多い。だが、ここにも例外がある。
例えば、婚姻や婚姻の解消に際して、夫婦間の姓の変更が行われる文化がある。婚姻やその解消は親子関係の変更を含むこともあるため、子の名前の変更を伴うこともある。
婚姻以外にも、人生の節目において、名前を与えられたり改めたりする場合がある。一部のドイツ人の間では洗礼に伴ってミドルネームが与えられ、以後はファーストネームではなくその洗礼名が頻繁に用いられることになる。日本でも、豊臣秀吉のように武士が元服や出世と共に名前を変えるケースがあった。
名前の由来
名前の由来についても、文化的多様性や共通性があることが知られている。
親の名前の一部を子の名前につけるとか、尊敬する誰か他の人の、既にある名前をとってつけられることがある。ユダヤ人の間には、生まれた子に死んだ親戚の名前をつける風習があった。ユダヤ教徒・キリスト教徒・イスラム教徒は、聖書などの聖典に登場する古代の人物の名前(ポピュラーネーム)を子につける者も多い(アブラハム、イブラーヒーム)。逆に、韓国人の名のように、他人が持っていない名をつけるというケースもある。昔の中国では皇帝の姓とか名前を避けて命名することもあった。
また、姓の由来にも様々なものがあることが知られている。生まれた土地の名、職業、性格や容姿などの特徴などと結びついている例が多くの文化に見られる。日本では姓の多くは地形と結びついている。(田中、林、川原、杉山など)英語圏ではMcDonaldやJohnsonのように始祖に当たる人物などの名をとってそれに加工を施して姓とするケースもある。
その他の多様性
また、姓や名の種類も文化によって大きく異なる。中国人の姓は500以下であるとされ、ベトナム人に最も多い3つの姓は、90%の人に用いられている。韓国人は、姓は金(김)、李(이)、朴(박)、崔(최)、鄭(정)の5種類で55%にのぼる。しかし反対に韓国人は子の名をつける際に、基本的に他の誰も持っていないオリジナルな名を与える。
更に、多くの文化においては、正式な名前とは別に愛称、敬称などがあり、そのパターンは文化毎に異なっている。そうした呼称は名前を省略したり変形して用いる場合もあり、名前ではなく帰属や当事者間の関係(父と子など)を用いる場合もある。
人名と文化、社会
人名をめぐる習慣や制度は一般的に、次のような文化的、社会的事象と結びついている傾向にある。
- 個人、家族、帰属についての考え方(とりわけ姓をめぐる習慣や制度)
- 価値観。人にとって何がよい性質であるか(とりわけ名をめぐる習慣や制度)
また、こうした姓名についての知識は次のような場面で活用される。
- 歴史研究や家系図の作成などに際しての資料の解釈、記録された名前と個人の対応づけ
- 犯罪捜査
- 戸籍、名簿などの管理、作成。それに関連したコンピュータ・データベースの構築
日本における人名をめぐる文化、制度、歴史
言葉としての特徴
今日の日本人の名前は、典型的には、姓が漢字2文字、名が漢字2文字からなる。但し法的制限などがあるわけではない。研究者の間で確認されている限りでは、姓は漢字5文字のものが最長である。漢字5文字からなる姓は、その種類もごく限られている。
姓、名どちらも比較的独自の語彙があるため、ある人の姓名を聞いて、それが人の姓名だとわかるのが普通である。また、姓か名かいずれかを聞いた場合、ごく稀な例外を除いて、それがどちらであるかを区別することも比較的やさしい。(これは例えば英語でRyan Douglas Scottのように姓にも名にも用いられる語がかなり多くの人の人名に使われていることと対照的である。)
但し、姓名を聞いてもそれがどのような文字で書かれるかについては必ずしもわからない場合が多い。
また、名前から正しい読み方が特定できない場合もある。これは、漢字の読み方が馴染みの薄いものであるために起こることもあるが、単に2つ以上のよく知られた読み方があるために起こる場合もある。例えば「裕史」という名はひろふみ、ひろし、ゆうし、ゆうじ、と4通りに読める。
姓はしばしば、山、川、村、谷、森、木、林、瀬、沢、岡、など地形を表す漢字を用いている。
僧侶の名前などは音読みとなる場合が圧倒的に多い。
名前を聞いたり、見たりした場合に、その名前の主が男性であるか女性であるかを見分けることは比較的やさしい場合が多い。
姓の継承と変更
婚姻により夫と妻が新たな戸籍を作る際には、その姓として夫・妻いずれかの結婚前の姓をつけるものとされており、結果として結婚後の両者の姓は統一される。どちらの姓を採るかはその夫妻の決定にゆだねられるため、単純に考えれば双方5割前後となるはずだが、旧民法の家父長制のもとで妻は嫁として夫の「家」に入ってその姓を名乗るもの、という意識が広まった結果、新民法のもとでも95%以上の戸籍で夫の姓を採用している。この制度については1990年代半ば頃から見直しの気運が高まっており、「夫婦別姓」問題として議論されている。結婚後も夫婦別姓を採用することの利点として、姓を変える側(通常女性)が一方的に蒙る社会生活における煩雑さや不便が避けられること、結果の平等の視点にたち男女平等の精神に即したものであること、などが指摘されている。反対意見として夫婦の絆を弱めるものだとの意見がある。
養子縁組の場合は養親の姓を名乗ることになる。
近世以降、現代の日本における姓の動向については、特に記事 「姓」 に挙げる。
名づけ
現代の日本では、上述したように、正式な名前は姓と名からなる。これは戸籍に登録されており、新生児は出生後14日以内(国外で出生があったときは3ヶ月以内)に登録する(戸籍法第49条)。
名前は親や祖父母などが考えて決める場合が多い。子供の名前を集めた本や姓名鑑定など占いの類を参考にする場合もある。
姓名の使用
死亡すると、仏式の葬儀を行い、戒名(浄土真宗では法名)をつけられる者も多い。日蓮正宗では男子が出家得度して僧侶となった場合、師匠から道号がつけられ、これまでの名を改め道号が名前となる。能化に昇級すれば日号が名前となる。
正式な姓名は、人が互いを呼び合う際にはほとんど用いられることはない。あだ名、名、姓や名に「さん」「ちゃん」などをつけたもの、肩書きや続柄に関係したもの、二人称代名詞などが代わりに用いられることが多い。
一般に、呼称をめぐる習慣は非常に複雑であり、簡潔に説明することは困難である。当事者間の年齢や血縁や仕事上の関係、社会的な文脈などによって大きく変化するが、そうした文脈の制約条件だけからは一意的に決まらないことが多く、個人的な習慣や好みなども影響する。更に、方言などと絡んだ地方差も認められる。また、歴史的には、日本語の一人称の一部は時代の経過と共に二人称として用いられるようになる傾向がある。「手前」(てまえ)はかつて一人称であったが、現在ではそこから転じた「てめえ」が二人称である。「自分」は一人称であったが近年ではことに関西地方では専ら二人称として用いられるようになっている。
日本人の姓名の歴史的変遷
歴史的には、古代の律令国家の時代には庶民も姓(セイ)をもっていたことが現存する当時の戸籍から明らかである。しかしこの姓は古代社会の氏(ウジ)などの氏族組織を背景にしたもので、今日の姓とは系譜を異にする。支配者層の姓(セイ)である氏(ウジ)には朝廷とその氏とのかかわりを示す姓(カバネ)が付された。例えば今日藤原鎌足として知られる藤原朝臣鎌足(ふじわらのあそんかまたり)では、藤原が氏(ウジ)=姓(セイ)、朝臣が姓(カバネ)、鎌足が名となる。
しかし、平安時代になると古代から中世への社会変動により、古代的な氏族組織は衰退し、新たに社会の上層から次第に「家」を単位とした組織化が進行した。そして古代的な姓は朝廷との関わりにおいてのみ温存されていくことになった。例えば摂関家の近衛家などは朝廷との関わりにおいては藤原氏の本姓を名乗り、摂政関白を家業として継承する家としては近衛家を名乗ったのである。こうした家名の中で、領主身分を獲得した武士によって用いられたのが苗字であった。
在地社会ではいったん古代豪族に率いられた伝統社会が崩壊した後、貴族や大寺社の寄人(よりうど)となることなどを通じて新たに律令戸籍に見られた姓と異なる形で氏(ウジ)集団が形成されていき、百姓身分であっても藤原、紀、秦、清原といった古代豪族や朝廷貴族と同じ姓を名乗るようになった。しかし鎌倉時代末期あたりを境に百姓身分も安定した婚姻関係を基礎に継続的な家組織を持つようになって氏集団への依存度が減少した。この頃から庶民が姓を名乗る習慣は消滅していき、代わって家名としての苗字を名乗ることが一般的になった。
庶民が氏を名乗っていた中世前期には例えば清原氏を名乗る百姓の女性ならば名前は清原氏女(きよはらのうじのにょ)などと記され、婚姻後であっても出自する氏の構成員としての地位を保っていた。しかし庶民が苗字を名乗る中世後期になると、女性は成人後も「ねね」、「やや」、「とら」などの童名で呼ばれ続けることが多くなり、女性は婚姻後に参加する家組織の中で従属的な色合いが強くなったと言われている。
また、東アジアではアニミズム的な背景により実名(諱:いみな)を他人が呼ぶことの禁忌があったため、同等者や目下の者が呼ぶために、通称が発達した。例えば太郎、二郎、三郎といった誕生順や、武蔵守、上総介といった律令官名がよく用いられた。
つまり、明治維新以前の日本では、特に社会の上層に位置する場合はなおさら、一人の成人男性は氏(本姓)、家名の二つの一族名、諱と通称の二つの個人名を持っていたことになる。ここで気をつけなければならないのは、これらを組みにして呼ぶ時の組み合わせが決まっていたことである。例えば忠臣蔵で知られる大石内蔵助はフルネームを記すと「大石内蔵助藤原良雄(おおいしくらのすけふじわらのよしたか)」であり、家名(名字)が大石、通称が律令官名で内蔵寮の次官を意味する内蔵助、氏が藤原、諱が良雄となる。この例に示されるように、家名には通称が、氏には諱が組みあわされ、家名に直接諱を組みにすることは正しくなかった。例えば今日、「織田弾正忠平朝臣信長(おだだんじょうのちゅうたいらのあそんのぶなが)」は「織田信長」と通称されるが、同時代的には「織田弾正忠」、あるいは「織田弾正忠信長」と呼ばれても、織田信長とは呼ばれなかったのである。もちろん、朝廷の公文書に記される時は「平朝臣信長」が正しい書式となった。
ここで明治維新以前の日本人男子名の構成要素を漢文表現と比較すると次の箇条書きのようになる。前者が日本における固有表現、後者が漢文表源である。
- 家名・苗字 →氏(シ)
- 通称・あざな→字
- 氏(ウジ) →姓(セイ)・本姓
- 姓(カバネ)→対応なし
- 諱(イミナ)→諱
本姓・氏(ウジ)は父系の血統を示すので養子に入っても変えることはできなかった。女性の場合、本姓はもちろん婚姻後も変わらず、家名は女性が自らの名前に冠することは通例ではなかったようである。中国でも同姓族集団の解体と氏の発生が起きたが、これは日本の同姓族集団の解体と家名の発生とは並行現象ではなく、中国での氏の扱いは父系血統を示す姓の扱いに近い。ただし、日本でも中国でも姓概念と氏概念の混同、日本における固有概念と中国の漢文概念の混同がしばしば見られ、実際の用例に当たるに際して注意を要する。
また、朝廷とかかわりが生じるような階層でなければ実生活で諱を使うことは滅多になかったため、周囲の者が諱を知らなかったり、後生に伝わらないことも起こった。西郷吉之助平隆永(さいごうきちのすけたいらのたかなが)が明治維新に際し、周囲の者が父の諱を彼のものと誤解して朝廷に奏上してしまい、以後新政府の公文書では平朝臣隆盛、戸籍令以降は西郷隆盛と呼ばれるようになってしまったのが良い例である。
江戸時代には苗字は厳密に武士や武士から苗字を許された者の特権的身分表徴となり、公式な場で家名を名乗るのも武士や公家などの支配階級に限られていた。しかし百姓身分や町人身分であっても、村や町の自治的領域内では個々の家に属した上でそれらの構成員となっており、当然のことながら家名を有した。こうした百姓や町人の家名は私称の苗字とも呼ばれる。ただし、村や町を支配した武家政権はその内部の家単位の組織編制には立ち入らなかったため、彼等が個々の百姓や町人を呼ぶ場合は家名を冠せずに百姓何某、町人何某と呼んだのである。また町人の場合は大黒屋光太夫など屋号を苗字の代わりに使うこともしばしばある。
明治維新によって新政府が近代国家として国民を直接把握する体制となると、新たに戸籍を編纂し、旧来の氏と家名の別、及び諱と通称の別を廃して全ての人が国民としての姓名を公式に名乗るようになった。明治以降の日本人の戸籍人名において、氏は家名の系譜を、名は諱と通称の双方の系譜を引いている要素が大きい。例えば夏目漱石の戸籍名である夏目金之助の金之助は通称系、野口英世の英世は諱系の名である。
諸文化の人名をめぐる習慣
世界中、歴史上の諸文化における名前の扱いについて体系的に整理した包括的な研究資料などは現在のところ存在しないと思われる。だが、個別の事例については少なからぬ量の情報が入手可能である。以下ではそのような様々な文化における姓名をめぐる習慣について、特徴的と思われる事例を紹介する。
イスラム圏の名前
アラブ人の伝統的な名前はクンヤ(「某の親」)、イスム(本人の名)、ナサブ(「某の子」)、ニスバ(出自由来名)、ラカブ(尊称・あだな)の要素から成り立っている。
- クンヤ
- イスム
- ナサブ
- ナサブは「イブン=某」(某の息子)、「ビント=某」(某の娘)という形を取る。また、某(本人の名)・イブン=某・イブン=某・…と本人の名の後にナサブを連結して先祖をたどる表現もできる。イブンはビン、ブンと言うこともあり、イラクなどでは、元イラク大統領サッダーム・フセインのように「ビン」が省略されて、ナサブ(この場合はフセイン)をイスム(この場合はサッダーム)の後ろに直接連結する(イラクの例の詳細は後述)。
- ニスバ
- ラカブ
以上からわかるように、本来アラブ人には親子代々が継承する姓は厳密には存在しないが、部族民や上流階級などの成員で、祖先がはっきりしている者は、ナサブやニスバやラカブが『家名』のように用いられることもある。日本や欧米の人々には一般に姓と見なされているオサーマ・ビン=ラーディンのビン=ラーディンは、何代前もの先祖某の名を使った「ビン=某」がいわば『家名』のようなものとして用いられた例にあたる。
現在はスンナ派とシーア派、北アフリカ地域とアラビア半島地域とで異なるというように、集団・地域による傾向に大きな差が存在する。
例えばサウジアラビアではパスポートに記載される名前は、「本人の名(イスム)、父の名によるミドルネーム(ナサブ)、祖父の名によるミドルネーム(ナサブ)、『家名』(先祖のナサブ、ニスバ、ラカブなど)」という順に表記されはこの4つの部分からなる。
イラクの場合は、元大統領サッダーム・フセイン・アッ=ティクリーティー(Saddām Husayn al-Tikrītī)はティクリート出身のフセインの子サッダームと読み解ける。サッダームの長男ウダイ・サッダーム・フセイン・アッ=ティクリーティー(Uday Saddām Husayn al-Tikrītī)はティクリート出身のフセインの息子サッダームの子ウダイ、サッダームの次男クサイ・サッダーム・フセイン・アッ=ティクリーティー(Qusay Saddām Husayn al-Tikrītī)はティクリート出身のフセインの息子サッダームの子クサイとなる。ウダイとクサイの例からわかるように、地名によるニスバは必ずしも当人の出身地を表すのではなく、父や祖先の出身地を表す場合もあるので注意が必要である。
非アラブのイスラム教徒の間では、ペルシア語で「息子」を意味する「ザーデ」、トルコ語で「息子」を意味する「オウル(オグル、オール)」の語を、ナサブに該当する部分に用いる他は、概ねアラブ人の名と似通った名が伝統的に使われていた。しかし、トルコとイランではそれぞれ1930年代に「創姓法」が制定され、全ての国民に姓をもつことが義務付けられたため、上流階級はアラブと同じように先祖の名前や出自に由来する『家名』を姓とし、庶民は父の名、あだ名、居住地名、職業名や、縁起の良い言葉を選んで姓をつけた。この結果、両国では姓名は「本人の名」・「家の姓」の二要素に統合された。例えば、トルコ人ムスタファ・ケマル・アタテュルク(Mustafa Kemal Atatürk)はムスタファ・ケマルが名、アタテュルクが姓であり、イラン人ルーホッラー・ホメイニー(Rūhollāh Khomeinī)はルッホッラーが名、ホメイニーが姓である。
また、旧ソ連のアゼルバイジャン・トルクメニスタン・ウズベキスタン・タジキスタン・キルギスタン・カザフスタンやロシアに住むチェチェン人などのイスラム教徒は、長くロシア人の強い影響下にあったために、スラブ語の父称を用いたスラブ式の姓が一般的である。例えば、アリーから創られた姓はアリエフ、ラフマーンから創られた姓はラフモノフと言い、ソビエト連邦解体後もそのまま使われている。
スラブ系の名前
スラブ系のロシア人の名前は通常3つの部分からなる。原語での順序は「名、ミドルネーム、苗字」となり、ミドルネームは父親の名に-ov/-ev/-ovich/-evichなどをつけて変形したもので、父称(ふしょう)という。例えば、ミハイル・ミハイロヴィッチ・バフチンという名であれば、彼自身はミハイルという名で、父親の名もミハイルであったとわかる。姓も父称から取られたものが多く、ロマノフなら先祖にロマンという人物がいたことに由来する姓である。
また父称は本人の性別による変化があるので、女性の父称は-ovna/-evnaのように変化する。姓も、-skii、-inなど男性名詞の語尾を持つ姓は、性別によって-skiiなら-skaia、-inなら-inaというように、女性名詞の語尾に変化する。従って、前述のミハイル・ミハイロヴィッチ・バフチンにもしオリガと言う姉妹がいたら、彼女はオリガ・ミハイロヴナ・バフチナと名乗ることになる。
中国人の名前
現代の中国人の名前は典型的には漢字1文字の姓(氏)と漢字2文字の名からなる。「父方の姓、その父系血族の同世代に共通の漢字、子に特有の漢字」という順に表記される。例えば毛沢東には二人の弟がおり、それぞれ毛沢民、毛沢覃という名であったが、この三人に共有されている「沢」が彼の父系一族の同世代を示す漢字である。元来姓は父系の血統を示すので原則としては夫婦別姓であるが、女性は結婚に伴って、夫の姓を名乗るようになることがある。夫の姓に続けて自分の姓を書く(従って漢字4文字になる)場合もある。
また、歴史を遡れば姓と氏は別のものであった。周代には周王の一族は「姫」、太公望呂尚の子孫である斉公の一族は「姜」、後に始皇帝を出した秦公の一族は「嬴」といった姓を持ったが、これは漢族形成以前の部族集団の呼称とでもみるべきもので、族長層だけがこれを名乗った。こうした族集団の内部の父系血族集団が「氏」であった。例えば周代の姫姓諸侯である晋公の重臣であり、後に独立諸侯にのし上がった韓氏は姫姓であって周の族長層に出自するが、氏は韓であった。しかし戦国時代になると社会の流動性が高くなり、それによって姓はその根拠となる族集団が形骸化していった。また姓を持たず氏のみを持つ非族長層も社会の表舞台に立つようになっていった。そして漢代になると古代の姓の多くが忘れられ、氏が姓とも呼ばれて両者が混同される形で父系の血縁集団を示す語として用いられるようになったのである。漢の皇帝を出した劉氏も姓を持たない階層に出自した。
さらに伝統的に下層階級以外の男性は目上の者だけが呼んでよい名(「諱」とも言う)と別に同等者や目下の者が呼ぶ「字(あざな)」という呼び名を持った。例えば三国時代に活躍した劉備は氏は劉、名は備、字は玄徳であった。注意すべきは劉備あるいは劉玄徳という呼び方はあっても劉備玄徳と全部をつなげて呼ぶ習慣はなく、こうした表記は誤りである。
現在は字の風習は廃れつつあるようである。
韓国人の名前
韓国人の名前は中国の影響を受けて、典型的には漢字三文字からなる。統一新羅の時代以前は今とまったく違う名前を用いていた。日本書紀や古事記に見られる朝鮮系の渡来人の名は中国式の名ではなかったことからもわかる。
例えば、高句麗末期の貴族、泉蓋蘇文は今日の韓国では漢語発音で「チョン・カエ=ソ=ムン」と呼ばれているが、日本書紀の「伊梨柯須弥」という表記から当時の高句麗では「イリ・カスミ」と発音したことが知られている。「イリ」は高句麗語で泉を意味すると言われており、日本語の訓読みに類似した表記方法、「カスミ」を「蓋蘇文」とするのは漢語の発音を用いて高句麗語を表現した、日本の万葉仮名に類似した表記方法と考えられる。
現在の姓名体系は統一新羅の時代に中国式を真似たものである。姓は基本的には漢字一文字であるが,皇甫などの二文字姓も少数だが存在する。 これとは別に、祖先の出身地(本貫)を持ち、同じ姓・同じ本貫(同姓同本)を持つものを同族と見なす。この同族意識はかなり強固なものであり,かつては同姓同本同士の結婚は禁じられていた。ただし,同姓でも本貫が違う場合は問題ない。現在,韓国内で最も多いのは金海金氏(釜山付近の金海を本貫とする金氏)である。族譜(족보)という先祖からの系図を書いたものがあるが、女性の名は族譜に記載されない。族譜は李朝中ごろに党争の激しくなったころから作られ始めた。族譜の中で始祖のころの系図は伝説に依拠していたり、古代の偉人に結びつけただけのものが多く、信憑性はあまりない。
同族で同世代の男子は、世代間の序列を表すために名前に同じ文字を共有する、行列字という習慣がある。行列字は陰陽五行説に基づいて決められる。つまり「木・火・土・金・水」の入った字を順番に付けていく。たとえば、ある世代で木の入った字(根、桓)、次の世代は火の入った字(煥、榮)、次の世代は土の入った字(圭、在)・・・と続く。十干(甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)、十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)を使うこともある。ある世代で名前の漢字二文字のうち前の字を行列字にしたら、次の世代は後の字を行列字にする。 兄弟には名二字のうち同じ字を一字つけることが多い。 現在では姓名はハングル表記であり,名の部分に関しては漢字では表記できない固有語を用いる例もある。 在日韓国人は韓国式の本名のほかに日本式の通名を持っている場合が多い。
モンゴル人の名前
モンゴル人は縁起の良い言葉や仏教的な言葉を選んで子供を名付ける。姓にあたるものはないが、氏族(オボク)の名称が姓に近い役割を持ち、中国の内モンゴル自治区では氏族名を姓として中国式に姓名で表記することがある。例えば、チンギス・ハーン家のオボクはボルジギン氏族(孛儿只斤氏)であるため、内モンゴル出身のチンギス・ハーンの子孫はボルジギン・某(孛儿只斤某)と称する。
これに対し、モンゴル国ではロシアの影響で父の名を姓の代わりに使い、本人の名の前に置く。例えば、朝青龍明徳の本名ドルゴルスレン・ダグワドルジは、ダグワドルジが本人の名、ドルゴルスレンが父の名である。
インドシナ半島の名前
中国の影響を受けて漢字3文字で名前をつけるベトナムを除いて、伝統的にこの地域では姓はない。しかし、カンボジア・ラオスでも旧宗主国フランスの影響で父の名などを姓として名のうしろに付加するようになった。
ミャンマーには今も家系に共通の姓はなく、必要な時には両親いずれかの名と自分の名が併用される。また、名を付ける際には、その子が生まれた曜日によって頭文字を決める。
インドネシア・マレーシアの名前
この両国でも姓は義務づける法はないが、スマトラ島のバタック人や、マルク諸島(モルッカ諸島)、フロレス島などでは氏族名を姓のように用いる。ジャワ島のジャワ人とスンダ人の多くは名しか持たないが、貴族の家系は姓を持っていて名のうしろにつける。イスラム教徒のマレー人、アチェ人、ジャワ人、スンダ人はアラブ式に父の名による呼び名を持ち、名のうしろにつけて姓のように使う場合もある。
スペイン語圏の名前
スペイン語圏では、姓は他の多くの国と同じように、基本的に父方から子へと父系相続で伝えられるのが基本となるが、個人の姓名を構成する部分の数は人によって異なる。名が最初に来る点では共通で、それに続く部分は父方の姓と母方の姓の一部または全部からなる。例えば「名、父方の祖父の姓、母方の祖父の姓」と3つの部分からなる名前がある。あるいは「名、父方の祖父の姓、父方の祖母の姓、母方の祖父の姓」「名、父方の祖父の姓、父方の祖母の姓、母方の祖父の姓、母方の祖母の姓」と4つまたは5つの部分からなる姓名を持つ場合もある。また、女性は結婚すると「名、父方の祖父の姓、 de+夫の父方の祖父の姓」で名乗るのが一般的となる。
ポルトガル語圏の名前
ポルトガル語圏では、姓名の構成はスペイン語圏によく似ているが、姓名に父方の姓と母方の姓を並称する場合は「名、母方の祖父の姓、父方の祖父の姓」の語順となり、スペイン語圏と反対である。
ドイツの名前
18世紀ドイツにおいては、洗礼の際にミドルネームが与えられることがあった。(必ず与えられたわけではない)もしミドルネームが与えられた場合には、その人はそのミドルネームで知られることになり、ファーストネームは余り用いられなかった。しばしば教会の記録などでもファーストネームが省略され、ミドルネームとラストネームだけが用いられた。また、ある一家の男の子達が全員ヨハネスというファーストネームを持つ、というようなこともあった。この場合でも、洗礼と共に各人に別々の名前が与えられ、その名前が用いられるようになるため、問題がなかったとされる。また、女性のファミリーネームを記録する際には元の名前の最後にinを付す習慣があった。(例えば「Hahn」が「Hahnin」と書かれる。)また、一家で最初に生まれた男の子には父方の祖父の名を、一家で最初に生まれた女の子には母方の祖母の名をつけることがしばしば見られた。「花の咲く土地」を意味すると思われる姓Floryに、他にもFlori、Florea、Florey、Flurry、Flury、Florie、など似た姓が数多くある。これはその姓を持っていた人々が文字を書くことができず、名前を発音することはできても綴ることができなかったため、筆記を行った人によって異なる綴りになったと考えられる。
英語圏の名前
英語圏の姓名は多くの場合、3つの構成要素からなる。ファーストネーム、ミドルネーム、ラストネームである。ファーストネームはギブンネーム(given name)とも呼ばれ、ラストネームはサーネーム(surname)、ファミリーネーム (family name)などとも呼ばれる。
ラストネームは、日本における姓とほぼ同じもので、父系の家系を通じて受け継がれる。稀に、母のラストネームが父のラストネームとハイフンでつながれて子に受け継がれることなどもある。
ミドルネームはキリスト教徒が洗礼を受ける際に与えられるもので、多くの場面でイニシャルだけの省略系が用いられる。(ミドルイニシャルと呼ばれる。)稀に、ミドルイニシャルだけを持ち、ミドルネームがない場合もある。ハリー・S・トルーマン大統領はその一例であり、このようにイニシャルだけを与えることはアメリカ南部に見られた風習だとされる。
西欧社会では女性は結婚と共にそれまでの姓を夫の姓に換えることが普通であったが、アメリカでは、20世紀中ごろから女性が結婚後も姓を変えない風習がひろまりつつある。また、両者の姓を併記するカップルもいる。
古代ローマ人の名前
古代ローマの自由人男性の氏名は多くの場合3~4の部分からなっていた。個人の名前、氏族の名前、家族の名前、および添え名である。例えばガイウス・ユリウス・カエサルは、「ユリウス氏族のカエサル家のガイウス」という名であった。このうち個人名のバリエーションは少なく、20種類ほどに限られていた。また個人名はバリエーションが少ないこともあって略して記されることも少なくない。以下はその対応。
- ガイウス - C
- マルクス - M
- ルキウス - L
- ティトゥス - T
- ティベリウス - Ti
- プブリウス - P
- クィントゥス - Q
- デキムス - D
- グナエウス - Cn
- アウルス - A
- ヌメリウス - N(またはNum)
自由人女性には個人名はなく、氏族名の女性形やあだ名で呼ばれていた。例えばクラウディウス氏族の娘はクラウディアと呼ばれ、ユリウス氏族の娘はユリアと呼ばれた。
養子の場合にはもとの姓を家族名の後ろにつけた。例えば、オクタウィアヌスの場合「ガイウス・オクタウィウス・トゥリヌス」がカエサル家に養子となった後は「ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス」となった。
沿え名は国家に功績のある場合などに元老院の決議などにより与えられた。多くアフリカヌス、ゲルマニクスなど勲功を上げた土地の名にちなんで与えられた。また出身地の名称からとられることもあった。こうした添え名は一代限りのものも多かったが世襲を許され、家族名として用いられるものもあった。
その他の国や地域
- インド南部には、姓を用いる習慣がない。父の名や出身地の名を自分の名と併用することがある。
- アイスランドでは、家系に共通の姓はない。姓名は通常、子供の名と、父の名の語尾に接尾語加えた名の2つの部分からなる。接尾語は、男の子には息子を意味するソン(son)、女の子には娘を意味するドッティル(dottir)を父の名の後に付すという形をとる。電話帳では、ファーストネームにより検索することになる。
- トルコでは、1934年に導入された創姓法によって、国民全員が姓を持つことが義務付けられた。
- フランスではナポレオン法典によって子供につけられる名前が聖人の名前などに限定されたことがある。
- ギリシャ人は長男に父方の祖父の名をつける、などの習慣がある。また「~の息子」を意味する「~プーロス」という姓が用いられることも多い。(例:「ステファノプーロス」=「ステファノスの息子」)。また古代ギリシャ人では姓は一般化せず、姓が普及したのは有力貴族が成長してきた9世紀の東ローマ帝国時代以降のことである。
関連項目
参考資料
参考文献
- 松本脩作・大岩川嫩 『第三世界の姓名 人の名前と文化』、明石書店、1994年 ISBN 4750305790
- 朝日ジャーナル編 『世界のことば』、朝日新聞社、1991年、125頁(アイスランド人の名前について) ISBN 4022595361
- 東京外国語大学語学研究所 『世界の言語ガイドブック』(2)「アジア・アフリカ地域」、三省堂、1998年、269頁(ミャンマー人の名前について) ISBN 438535815X
- "Names" The New Encyclopaedia Britannica (15th ed.) 2002. Chicago, IL: Encyclopaedia Britannica.
- "Naming" Encyclopedia of Marriage and the Family. David Levinson (editor in chief, 1995. New York, NY: Simon & Schuster Macmillan
- "Name" The World Book Encyclopedia. Chicago,IL:World Book Inc.
他言語版ウィキペディアの関連項目
- (en)
- (en)
外部リンク
- 静岡大学人文学部 城岡研究室 - 日本、静岡、沖縄、ドイツの姓についての資料がある
- 名字見聞録
- 苗字館
- アラブ人名の由来と正しい呼び方 - 日本貿易振興会(ジェトロ)リヤド事務所
- ミャンマー人の名前
- 流れにのってアニッサ・ミャンマー 0002.もう一度思いを確かめに 森本綾
- アメリカ人の姓 - 吉祥寺村立雑学大学通信
- Why are some Spanish names so long?
- South Indian Naming Fundas
- Untitled Document , James R. Richards in Money Laundering Prevention & Deterrence
- 15. First name, middle initial, last name
- German naming practices and Flory/ Flora names
- Name - Encyclopedia.com
