七年戦争
Keywords: 七年戦争, 1756年, 1762年, 1763年, 2月10日, アメリカ独立革命, イギリス, インド, エリザヴェータ (ロシア皇帝), オーストリア
七年戦争(しちねんせんそう、Seven Years' War)は、1756年から1763年にイギリスの財政援助を受けたプロイセンと、オーストリア・ロシア・フランス・スウェーデン・スペイン(1762年参戦)及びドイツ諸侯との間にヨーロッパで行われた戦争。並行してイギリスとフランスの間では北米、インド、各大洋上で陸海に渡る戦争が行われた。北米での戦争をフレンチ・インディアン戦争、またインドでの戦争をカタルーナ戦争という。なおこれらの戦争を総称して七年戦争と呼ぶこともある。オーストリア継承戦争の結果、プロイセンに帰属したシュレジェン奪回を意図したマリア・テレジアが、フランス、ロシア女帝と結んでプロイセン王国に復讐戦を画策した。しかし戦争は、開戦を察知したフリードリヒ2世によって先制攻撃が為された。
オーストリアがフランスと同盟を結んだ外交革命、400万対8000万と言う圧倒的な人口格差など、プロイセン包囲網によって当初は敗勢を余儀なくされ、プロイセンの命運は尽きるかと思われたが、フリードリヒ大王の適切な戦争指導と、ロシアのエリザヴェータ女帝の死によるロシアの離反によって戦局は打開され、幸運にも戦争はイギリス・プロイセンに側に有利に帰着した。その結果、プロイセンのシュレジェン領有が決定する。フランスはインドからほぼ全面的に撤退し、北アメリカの植民地のほとんどを失った。
この戦争の結果として、北米、西インド諸島、インドにおけるヨーロッパ各国の植民地の帰属が再編され、北米とインドでの植民地獲得競争におけるイギリスの優位が決定的になった。
1762年には戦争の帰趨はほぼ明らかとなり、オーストリアとプロイセンの間には停戦の交渉が始められた。両国間の終戦条約フベルトゥスブルク条約が締結される前に、フランスの主導で1762年11月イギリス・フランス・スペインによるフォンテーヌブロー仮条約が結ばれ、翌1763年2月10日、パリ条約の締結により、七年戦争は正式に終結した。この結果プロイセンは強国となったが、以後フリードリヒ大王が、戦争に与することは無くなった。一方イギリスは多額の負債にあえぐことになり、植民地への課税にうったえるが、これが仇となりアメリカ独立革命を引き起こすことになる。
