ベトナム
Keywords: ベトナム, 12月22日, 1887年, 1940年, 1944年, 1945年, 1946年, 1954年
ベトナム社会主義共和国(ベトナムしゃかいしゅぎきょうわこく)、通称ベトナムは、東南アジアのインドシナ半島東岸にある南北に長い国。北を中華人民共和国と、西をラオス、カンボジアと国境を接する。東は、南シナ海に面し、その先にはフィリピンがある。
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| 国の標語: Ðộc lập, tự do, hạnh phúc (ベトナム語: 独立、自由、幸福) | |||||
| ベトナムの位置 | |||||
| 公用語 | ベトナム語 | ||||
| 首都 | ハノイ | ||||
| 首都の座標 | 北緯 16度00分 東経 106度00分 | ||||
| 最大の都市 | ホーチミン | ||||
| 国家主席 | チャン・ドゥック・ルオン | ||||
| 首相 | ファン・ヴァン・カイ | ||||
| 面積 - 総計 - 水面積率 | 世界第65位 329,560km² 1.3% | ||||
| 人口 - 総計(2004年) - 人口密度 | 世界第13位 82,689,518人 251人/km² | ||||
| GDP (PPP) - 合計(2003年) - 1人当たり | 世界第38位 2,039億ドル 2,500ドル | ||||
| 独立 - 宣言 - 承認 | フランスから 1945年9月2日 1954年 | ||||
| 通貨 | ドン( ₫ / Đồng ; 銅) | ||||
| 時間帯 | UTC +7 | ||||
| 国歌 | 進軍歌 | ||||
| ccTLD | .VN | ||||
| 国際電話番号 | 84 | ||||
| 目次 |
国名
正式名称は、Cộng Hoà Xã Hội Chủ Nghĩa Việt Nam (ベトナム語)。略称は、Việt Nam 。
公式の英語表記は、Socialist Republic of Vietnam、略称は、Vietnam、または、SRV。
日本語表記は、ベトナム社会主義共和国。通称は、ベトナム、漢字は越南(えつなん)。
ベトナム語による名称Cộng-hòa Xã-hội Chủ-nghĩa Việt-namは共和社会主義越南という漢字に対応する。
歴史
詳細はベトナムの歴史を参照
紀元前から北部ベトナムの紅河(ソンコイ川)流域一帯には東南アジア最古の青銅器文化として知られるドンソン文化が広がり、原始的な部族国家群を形成していた。これがベトナム民族の起源といえる。秦始皇帝以後、千年にわたって中国王朝の郡県支配を受け、中国文化の影響が深く浸透したが、完全に中国化することはなかった。一方中部ベトナムではオーストロネシア語族系統のチャム人がインド化されたチャンパ王国を形成していた。唐末五代の混乱で中国の支配が後退すると939年に最初の民族王朝呉朝が成立、以後ベトナム人の王朝が続く。ベトナムは南のチャンパと抗争を繰り返したが、次第にチャンパを圧倒して南進し、17世紀にはカンボジア領であったメコン川流域まで併合して今日のベトナム領土が完成した。
- 1887年 仏領インドシナの成立
- 1940年 日本軍の北部仏印進駐
- 1945年 ベトナム八月革命、ベトナム民主共和国の独立を宣言。
- 1946年~54年 フランスに対する独立戦争(第一次インドシナ戦争)
- 1954年 ジュネーブ協定により、北部のベトナム民主共和国と南部のベトナム国とに国土が分断される。
- 1964年~75年 ベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)
- 1976年 南ベトナム消滅による南北統一。ベトナム民主共和国をベトナム社会主義共和国に改名。
- 1979年 中越戦争
- 1986年 ドイモイ(刷新)政策の開始。
- 1992年 中越関係正常化
- 1995年 米越国交正常化
政治
元首はチャン・ドゥック・ルオン(陳徳良)国家主席 首相はファン・ヴァン・カイ(潘文凱)
地方行政区画
ベトナムの地図
2003年11月の改正により、59省と、5の中央直轄市となった。中央直轄市は、ハノイ(河内)、ホーチミン(胡志明)、ダナン(峴港)、ハイフォン(海防)、カントー(芹苴)。
地理
北部にはホン川(紅河)、ダー川、南部にはメコン河口が広がる。
経済
国民
住民はベトナム人(京族)が85%から90%、その他に中国人、タイ人、クメール人などもいる。
言語はベトナム語が公用語である。その他、英語、中国語、クメール語なども使われている。
宗教は仏教が大半を占めている。その他、道教、ローマ・カトリックなどがある。また中南部には混淆宗教としてのカオダイ教が教勢を保っている。
軍事
ベトナム人民軍は1944年12月22日に建軍された。主力部隊、地方部隊、民兵の三結合方式による全国民国防体制を採用する。国家国防安全委員会主席は国家主席が兼任し、首相が副主席である。総兵力は46万人、うち陸軍26万人、海軍3万人、防空・空軍5万人である。国防予算は約10億米ドル。
文化
世界遺産
ベトナム国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が3件、自然遺産が2件ある。詳細は、ベトナムの世界遺産を参照。
| 日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
|---|---|---|---|
日本との関係
- 西暦734年遣唐使判官・平群広成が帰国の途上、難破して崑崙国に漂流し、抑留された。フエ付近に都があったチャンパ王国と考えられる。広成はその後、中国に脱出し、渤海で帰国している。753年には遣唐使藤原清河や阿倍仲麻呂が帰国の途上、同じく漂流し、中国領安南のヴィン付近に漂着した。東シナ海から南シナ海に南下する海流の関係でこのような漂流ルートが存在したようだ。これが縁で阿倍仲麻呂は761年から767年まで鎮南都護・安南節度使としてハノイの安南都護府に在任した。
- 14世紀から15世紀にかけて交易国家として栄えた琉球王国はチャンパ王国とも通好があった。17世紀になると朱印船がベトナム方面へ進出し、江戸幕府は北ベトナムの黎朝や南ベトナムの阮氏広南政権とも外交文書を交換し、朱印船が出入りした。ホイアン(会安)には日本人町も形成されている。朱印船はまた衰亡していたチャンパ(占城)でも中国船と出会い貿易を行っている。
- 1940年に日本軍は北部仏印進駐を行い、1941年には南部にも進駐した。フランスのヴィシー政権との外交協議によるものであった。日本軍は戦争中、インドシナ植民地政府と共存していたが、1945年3月にはクーデターによってフランスの植民地政府・軍を取り潰し、ベトナムを名目的に独立させたが、間もなく敗戦となった。しかし、その結果生じた権力の空白はベトナム独立同盟に有利に作用した。また、戦前・戦中の日本軍の軍規の良さはベトナム国民にとても好印象を与えた。
戦後、フランスが再び進駐してくると、それに対しベトナム国民が抵抗し(抗仏独立戦争)この戦争に日本軍兵士が多数参加した。
関連項目
外部リンク
ベトナム政府公式サイト
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