リスボン
Keywords: リスボン, 1147年, 1260年, 12世紀, 1755年, 1924年, 1974年, 1983年, 719年, イスラム教
リスボン(英語Lisbon、ポルトガル語Lisboa)はポルトガルの首都であり、ポルトガル最大の都市である。面積84.6平方キロ、人口564,652人(2001年)。大リスボン圏の人口2,662,949人は、ポルトガルの人口の約25%に相当する。
ポルトガルの政治、経済、文化、教育の中心である。リスボン港はポルトガル最大の海港である。またリスボン大学を始めとする高等教育機関の所在地でもある。
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地理
大西洋に流入するテージョ川(スペイン語ではタホ川)の河口に位置する港湾都市である。テージョ川河口には「4月25日橋」(1966年完成、かつてはサラザール橋と呼ばれた)と「ヴァスコ・ダ・ガマ橋」が架かる。坂の多い街で市電とケーブルカーが名物である。地下鉄もある。市内はテージョ川河口と古城サン・ジョルジェ城の建つ丘からなる旧市街、その周辺の新市街からなる。
歴史
リスボンは古代からフェニキア人(カルタゴ人)などにより港として利用されてきた。当時はフェニキア語でアリス・ウボと呼ばれた。紀元前のギリシア人の集落跡が出土している。大プリニウスは『博物誌』でリスボンの創健者をオデュッセウスであるとしている。
紀元前205年にローマの支配下に入り、オリピソの名で知られる。紀元前48年にはガイウス・ユリウス・カエサルによりローマ都市の資格を与えられ、フェリキタス・ユリアと改名。属州ルシタニアの首都となった。
719年にイスラム教徒であるムーア人に占領される。以後1147年に最初のポルトガル国王アフォンソ1世がイスラム教徒より征服するまでイスラム教徒に支配された。1260年には、アフォンソ3世がコインブラから遷都し、ポルトガル王国の首都となった。
12世紀にはパドヴァのアントニオがリスボンから出た。この修道士がしばしばリスボンのアントニオとも呼ばれるのはこのためである。パドヴァのアントニオはポルトガルの守護聖人のひとりとみなされている。
15世紀はじめには35万人の人口を有し、当時の世界最大級の都市となった。しかし1531年にはリスボン地震で被害を受け、また1569年にはペストにより6万人の死者を出した。
1755年、リスボン大地震で市民の3分の2にあたる約6万人の死亡者を出した(地震の被害者総計は約9万人から10万人といわれる)。市内は津波と火災により多く家屋も損傷し、リスボン市のみならずポルトガルの国内経済にも影響を与える甚大な被害をこうむった。市内はのちにポンバル侯爵の設計で再建された。
1924年から1974年のファシズム政権、いわゆるエスタド・ノヴォのもとで、市街はさらに拡張された。
近現代の略史
- 1910年 共和制革命起こる
- 1911年 リスボン大学創設
- 1959年 地下鉄開通
- 1966年 現在の4月25日橋がテージョ川上に開通
- 1974年 カーネーション革命起こる
- 1994年 ヨーロッパ文化都市に指定
- 1998年 リスボン万博
観光名所
- エドゥアルド7世公園(イギリス王エドワード7世のリスボン訪問を記念)とポンパル公爵公園は新市街の中心に位置する。
- サン・ジョルジェ城(旧市街アルファマ地区)はローマ時代に起源する城塞。
- サン・ヴィセンテ・デ・フォーラ教会(旧市街アルファマ地区)は16世紀から17世紀にかけて建造されたルネッサンス様式の教会。ブランガンサ王朝歴代の墓がある。
- 国立古美術館(市西部ベレン地区)はポルトガルの代表的美術館
- ジェロニモス修道院とベレンの塔(市西部ベレン地区)は1983年世界遺産に登録された。
その他
- ファドの本場として知られ、「ファドとポルトガル・ギター博物館」もある。
外部リンク
- Lisbon Pages(英語)
- リスボン訪問記(日本語)
