ラジオ

Keywords: ラジオ, 1925年, 1926年, 1945年, 1950年, 1951年, 1953年, 1959年, 1977年

ラジオ(Radio)とは、無線送受信技術全般、また英語では放射能放射線を指すこともあるが、一般には次のような意味に用いられる。

目次

概説

音声や音楽などの音響情報を、電波を使って不特定多数のために放送するしくみ。いくつかの方式があるが、最も歴史の長いのはAMラジオで、基本的な方式は100年間も変わらず、現在でもラジオの主流である。

テレビと異なり、送信システムは比較的簡単な構造で、仮に地震などで放送局が破壊されても、肩に担げる程度の大きさの小型送信機からの放送も可能である。(極端に言えばマイクロフォンと送信機さえあれば放送可能)これを生かし、災害発生時には臨時ラジオ局が開設されることがある。

また、受信機の構造も簡単なため、乾電池で動作する小型のものが安価(安いものでは数百円程度)に購入可能。電波が受信できれば、いつでもどこでも放送を聞くことができる。この特性を生かして、災害時の情報伝達手段として重要視されるようになっている。

ラジオ放送の種類

変調方式による分類

電波に音響情報を乗せて送るためには、高周波の電波を低周波の音響信号で変調 (modulation) する必要がある。変調方式の違いにより幾つかのラジオ放送方式が存在する。

アナログ変調

デジタル変調

衛星放送地上デジタル放送ではテレビジョンだけでなく、ラジオ放送も行われる。

周波数による分類

また、放送に用いられる電波の周波数の違いにより分類することもできる。日本では、主に中波を使うAM放送、短波を使う短波放送、超短波を使うFM放送の3種類の放送が行なわれている。

長波放送

AM放送

短波放送

FM放送 (超短波放送)

ラジオ受信機の種類

回路方式による分類

チューニング方式による分類

形態による分類

受信周波数による分類

ラジオ放送の最初

無線での音声放送(ラジオ)を世界で初めて実現したのは元エジソン社技師であったカナダ生まれの電気技術者レジナルド・フェッセンデン(Reginald Aubrey Fessenden 1866~1932)で、1900年に歪みはひどいものの最初の通信テストに成功した。彼は引き続き、ヘテロダイン検波方式や、電動式の高周波発振器を開発してラジオの改良に取り組んだ。

1906年12月24日には、アメリカマサチューセッツ州の自己の無線局から、自らのクリスマスの挨拶をラジオ放送した。フェッセンデンはこの日、レコードヘンデル作曲の「ラルゴ」を、そして自身のバイオリンと歌で「きよしこの夜」を電波に乗せた。偶然に傍受した無線技術者たちを驚かせたこの放送こそ、「世界初のクリスマス特別番組」であり、フェッセンデンは「史上初のラジオアナウンサー&プロデューサー」と言えるだろう。

正式な公共放送(かつ商業放送)の最初は、1920年11月2日にアメリカ・ペンシルヴァニア州ピッツバーグで放送開始したKDKA局と言われる。これはAM方式によるものであった。最初のニュースは大統領選挙の情報で、ハーディングの当選を伝えた。

極長距離を伝送できる短波ラジオ放送を最初に行ったのはオランダの国営放送で、1927年11月から海外植民地向けに試験放送を開始した。翌1928年には当時オランダ領であったインドネシアジャワ島での受信に成功、この実績に追随してドイツソ連フランスイタリアイギリス等が1929年~1932年にかけて植民地向け放送や海外宣伝放送を短波で開始している。

周波数変調方式(FM方式)は、フェッセンデンによって1902年に考案されているが、実用化されたのは1933年になってからで、アメリカのエドウィン・H・アームストロング(Edwin.H.Armstrong 1890~1954)の手による(アームストロングは1920年にスーパーヘテロダイン検波方式も実用化している)。FM方式による公共放送はアメリカで1938年から試験的に開始された。

日本初のラジオ放送

日本初のラジオ放送は、1925年3月22日午前9時30分、社団法人東京放送局(JOAK:現在のNHK東京放送局)が東京・芝浦の東京高等工芸学校(現在の千葉大学工学部)内に設けた仮送信所から発した京田武男アナウンサーによる第一声

アーアーアー、聞こえますか。JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります。こんにち只今より放送を開始致します

であった(当時使われていたラジオは「探り式鉱石受信機」がほとんどであり、第一声の「アーアーアー」は、この間に聴取者が鉱石の針先を一番感度の良い部分に調節できるようにするための配慮であると言われている)。

波長は375m(周波数800kHz)、空中線電力約220Wであった。

元々は3月1日に放送を開始する予定であったが、購入する予定だった日本にたった1台の放送用送信機(ウェスタン・エレクトリック(WE)社製)が、前年12月に同じく設立準備中の大阪放送局に買い取られてしまった。

そこで東京放送局は、東京市電気局電気研究所が放送実施のために購入した無線電信電話機(ゼネラル・エレクトリック(GE)社製)を借り放送用に改造して使用することにしたが、2月26日の逓信省の検査で「放送設備が未完成のため3月1日の放送開始は時期尚早」と判断された。

既に3月1日から放送を開始すると発表しており、また、大阪放送局よりも先に日本初のラジオ放送を行いたいということで、「試験送信」の名義で逓信省の許可を受け、なんとか3月1日から放送を開始することができた。

3週間の試験放送の後、逓信省の検査に合格し、3月22日に仮放送(仮施設からの正式な放送という意味)を開始し、7月12日に愛宕山からの本放送が開始された(あらためて購入した出力1kWのWE社製送信機を使用)。

大阪放送局はその年の6月1日から仮放送を出力500Wで開始した。

さらに、名古屋放送局(出力1kWのマルコーニ社製送信機を使用)も同年7月15日に放送を開始した。

戦前~戦後

社団法人東京・大阪・名古屋放送局は翌年の1926年に「社団法人日本放送協会」(実質的には政府機関的な性格をもっていた)として統合され、その後、「全国鉱石化」を目標に日本国内や、当時統治していた朝鮮、台湾、樺太など各地に放送局を開設した。

受信機としては、真空管を使ったものが登場し、鉱石式のイヤホンから、スピーカーで放送が聞けるようになる。

やがてラジオ受信機の普及が進み、娯楽の主役となったが、戦局の進行とともにプロパガンダ的な番組が多くなったといわれる。戦中には空襲警報などの情報を知るために、ラジオ受信機の電源を入れたままにしておいたらしい。

1945年8月15日にいわゆる「玉音放送」が流され、戦後は海外領土を失い、「社団法人日本放送協会」はGHQの管理・監督下に置かれた。進駐軍(米軍と英連邦軍)向け放送局(米軍向けは後にFEN、現在のAFNの前身)が主要都市に置かれたが、一部の局については日本放送協会から施設や役務の提供が行われた。

戦後~1950年代

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1955年頃のラジオ受信機

1950年に「社団法人日本放送協会」が公共企業体としての「特殊法人日本放送協会」に改組され、翌1951年には民間放送も開始された。1953年にはテレビ放送も開始されたが、テレビ受像機の価格が高価(当時の価格で20~30万円程度、白米10kg680円、銭湯の入浴料15円程度)で一般には買えず、ラジオが一家の主役でありつづけた。

ラジオ受信機にしても当時は物品税が高いため、メーカー製完成品を購入するよりは秋葉原などから真空管などの部品を買い集めて自作したほうが安かったために、受信機を製作する人が多く、ラジオ少年とも呼ばれ、高度成長期の日本のエレクトロニクス産業の発展の基礎を作る要因の一つともなった。

しかし、1959年の皇太子(今上天皇)ご成婚をきっかけにテレビ受像機が普及し始め、ラジオは斜陽化の時代を迎える。

1960年代~1970年代(前半)

この頃、トランジスタが発明され、これを使ったトランジスタラジオの商品化や、さらにモータリゼーションが始まって、ラジオは一家に一台から一人に一台というパーソナル化の方向へ向かう。ラジオ放送はファミリーをターゲットにした編成から、個人をターゲットにした編成へと転換していく。

一方では、1970年頃からFMラジオ放送も開始され、もっぱら音楽を中心とした編成で放送されるようになる。

1970年代(後半)~1980年代

1970年代後半(昭和50年代)に、海外の国際放送の受信ブーム(BCL)が起こった。受信周波数の広いラジオ受信機(いわゆるBCLラジオ)が各社より発売され、戦後2回目の黄金期となる。しかし国際放送の縮小などで、BCLブームも終わりを遂げ、BCLラジオもソニー以外は撤退した。1980年代後半には全国に民放FM放送局が相次いで開局する。

1990年代~

1988年に開局したエフエムジャパン (J-WAVE) を皮切りに、大都市圏に2つめの民放FM局が開局する。さらに、コミュニティ放送のように、さらに狭い地域を対象としたラジオ放送が行われるようになり、対象セグメントの細分化がさらに進む。1995年にはFM文字多重放送もスタートする。また、1992年にはAMステレオ放送が開始した。

1995年阪神・淡路大震災では、災害時における情報伝達メディアとしてのラジオの重要性がクローズアップされる結果となった。以降、各局とも災害への対応を重点に置くようになり、また大都市圏には外国語FM局も開局する。

2000年~

インターネットラジオの登場、さらに衛星や地上デジタルラジオも加わり、従来のアナログラジオ放送とともに、ラジオの多様化が進むと考えられる。

ステレオ放送

複数の放送波による立体放送

(沿革)

FM放送

中波ステレオ放送

ラジオをテーマにした小説・漫画・映画など

参考

和文通話表で、「」を送る際に「ラジオのラ」という。

関連項目

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