ブルゴーニュ公国

Keywords: ブルゴーニュ公国, 1031年, 1361年, 1363年, 1384年, 1477年, カペー朝, ギヨーム・デュファイ, ゲント, シャルル5世 (フランス王)

ブルゴーニュ公国(-こうこく Duche de Bourgogne)は中世のフランス東部にあった公領。1031年から1361年にはカペー朝の傍系が支配し、1363年から1477年にはヴァロア朝傍系が支配した。百年戦争(1337-1453年)の際はイギリス側に就き、フランス王と対抗した。1477年にフランス王領に編入された。

歴史上、ブルゴーニュ公国が知られるのは、14世紀後半-15世紀半ば、ヴァロア系4代のブルゴーニュ公のもと、宮廷に華やかな騎士文化が開花したことによる。この時期、ブルゴーニュ公国は、欧州の経済的先進地域であったフランドル(現在のベルギー周辺)をも支配し、経済・文化の一大中心地であった。公国の首都はディジョン(現在はフランス国内)にあった。

ブルゴーニュ公

ヴァロア朝シャルル5世の弟で、1363年、ブルゴーニュ公領を封ぜられた。1384年、フランドル伯の娘と結婚し、フランドル領をも支配した。
フランス王に反発し、イギリス側と結ぶ。
安定した統治を行った。金羊毛騎士団を創設し、騎士文化が最盛期を迎えた。ファン・エイク兄弟などのフランドル派絵画や、ネーデルラント楽派の音楽はヨーロッパで最高水準のものとなった(北方ルネサンス)。1430年、ジャンヌ・ダルクを捕らえ、イギリス軍に引き渡した。
領土拡大を夢見て、無謀な戦争を行った。シャルルの娘マリアとハプスブルク家マクシミリアンの結婚を承諾したのち、ナンシー郊外の戦闘で戦死。

シャルルの戦死により、男子が途絶えたため、1477年、ブルゴーニュはフランス王領に編入された。(フランドルはマリアの嫁いだ先のハプスブルク家が継承した)

経済・文化の中心地

ヴァロア系ブルゴーニュ公国は、欧州の経済的先進地域であったフランドル(現在のベルギー周辺)を支配したが、フランドルはヨーロッパの主力な輸出品であった毛織物の産地で、これを中心にした経済の一大中心地であった。

ルネサンスの文化は全般にイタリアが中心であったが、15世紀の絵画・音楽の部門ではイタリア以上の発展を示した。

フィリップ善良公の頃、ヤン・ファン・エイク(1390年頃 - 1441年)は油彩画の技法を完成させた。代表作に「ヘント(ゲント)の祭壇画」がある。
音楽史では、ルネサンス音楽の発展で知られている。ギヨーム・デュファイ(1400年頃-1474年)はフランドルのカンブレ(現在はフランスの領内)で生まれで、イタリアに移って活躍した。1437年カンブレに戻ってからも、多数の作曲を行い、デュファイを中心にブルゴーニュ楽派と呼ばれるグループが作られた。
(のち、16世紀にはフランドル楽派)

関連項目

Keywords: ブルゴーニュ公国, 1031年, 1361年, 1363年, 1384年, 1477年, カペー朝, ギヨーム・デュファイ, ゲント, シャルル5世 (フランス王)