タジキスタン
Keywords: タジキスタン, 11月, 11月6日, 16世紀, 1924年, 1929年, 1990年
タジキスタン共和国(タジキスタンきょうわこく)、通称タジキスタンは、中央アジアに位置する旧ソビエト連邦の共和国。首都はドゥシャンベ。
南にアフガニスタン、東に中国、北にキルギスタン、西にウズベキスタンと国境を接する。
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| 国の標語 : なし | ||||
| タジキスタンの位置 | ||||
| 公用語 | タジク語 | |||
| 首都 | ドゥシャンベ | |||
| 大統領 | エモマリ・ラフモノフ | |||
| 首相 | オキル・オキロフ | |||
| 面積 - 総計 - 水面積率 | 世界第92位 143,100km² 0.3% | |||
| 人口 - 総計(2004年) - 人口密度 | 世界第95位 7,011,556人 49人/km² | |||
| GDP (PPP) - 合計(2003年) - 1人当たり | 世界第142位 69億9,600万ドル 1,000ドル | |||
| 通貨 | ソモニ | |||
| 標準時 | UTC +5 | |||
| 独立 - 宣言 |
ソビエト連邦より 1991年9月9日 | |||
| 国歌 | 民族の幸福 | |||
| ccTLD | .TJ | |||
| 国際電話番号 | 992 | |||
| 目次 |
国名
正式国名は、キリル文字でҶумҳурии Тоҷикистон (Jumhurii Tojikiston)、アラビア文字でجمهوری تاجکستان(Jumhūrī-i Tājikistān)。読みは、ジュムフーリーイ・トージキストーンあるいはジュムフーリーイ・タージキスターン。通称は、Тоҷикистон / تاجکستان。
公式の英語表記は、Republic of Tajikistan。通称、Tajikistan。
日本語の表記は、タジキスタン共和国。通称、タジキスタン。
国名は、タジク人の自称民族名 Тоҷик(タージク、トージク)と、タジク語で「~の国」を意味する -истон の合成語である。タージク(ペルシア語ではタージーク)の語源は明らかではないが、中国の唐がイスラム帝国を指した「大食」(タージー)と同じで、元はペルシア語で「アラブ人」を意味した語であると言われ、のちにアラブ人からイスラム教を受け入れたペルシア・イラン系の人々のことを指すようになった。
歴史
現在のタジキスタンの領土にあたる地域は古来より様々な民族の侵入、支配を受けてきた。8世紀にアラブ人が到来し、イラン系の言語を話していたこの地域の住民たちはイスラム教を信奉するようになり、9世紀にはタジキスタンからウズベキスタンにかけての地域で、土着のイラン系領主がサーマーン朝を自立させた。やがてテュルク民族が到来すると、タジキスタンとウズベキスタン、アフガニスタン、イランなどにかけて広く居住するイラン系の言語を話すムスリム(イスラム教徒)定住民たちはタジクと呼ばれるようになる。
16世紀にはタジクたちの中心地域であるトランスオクシアナ(ウズベキスタン中央部からタジキスタン北西部)にウズベク人が侵入し、ウズベクの建てたブハラ・ハン国の支配下に入る。ブハラ・ハン国は19世紀にロシア帝国の保護国となり、さらに20世紀にはロシア革命の余波で倒壊し、ブハラ人民ソビエト共和国となった。1924年、ソビエト政府は中央アジアの各自治共和国を民族別の共和国に再編する「民族境界区分」の画定に踏み切り、それまでテュルクの定住民とまとめて「サルト」と呼ばれてきたイラン系のタジクたちが、タジク民族として公認されるとともに、ブハラの東部とトルキスタン自治共和国の南部が切り分けられて現在のタジキスタンの領域にタジク自治ソビエト社会主義共和国が設置された。1929年、タジクはウズベク・ソビエト社会主義共和国から分離し、ソビエト連邦構成国のひとつタジク・ソビエト社会主義共和国に昇格する。
こうして形成されたタジク国家は1990年に主権宣言を行い、1991年に国名をタジキスタン共和国に改めるとともに、ソ連解体にともなって独立を果たした。
政治
タジキスタンは共和制をとる立憲国家である。現行憲法は1994年11月に採択されたもの。
国家元首として強大な権限を憲法により保障されている大統領は、国民の直接選挙で選出され、任期は7年と長い。首相を任命する。副大統領職は無い。
内閣に相当する閣僚評議会のメンバーは、最高会議の承認のもとに大統領が任命する。
立法府は二院制の最高会議で、国民議会(上院)と人民代表議会(下院)で構成される。国民議会は33議席で、うち25議席は地方議会による選出枠、残りは大統領が任命する。人民代表議会は63議席で、国民の直接選挙により選出される。両院とも任期は5年。
主要政党には大統領エモマリ・ラフモノフ率いるタジキスタン人民民主党、旧ソ連時代の政権党であったタジキスタン共産党、そしてイスラム主義の宗教政党イスラム復興党の3つがある。
資源・産業に乏しく、また独立後の1992年にタジキスタン共産党系の政府と反政府勢力との間で内戦がおこったため、旧ソ連の中でも最も貧しく、政情も不安定である。
1994年の暫定停戦合意およびエモマリ・ラフモノフ大統領の就任以来、国連タジキスタン監視団(UNMOT)のもとで和平形成が進められてきたが、1998年には監視団に派遣されていた秋野豊筑波大助教授がドゥシャンベ東方の山岳地帯で反政府勢力に銃撃され殉死する事件が起こった。監視団は2000年に和平プロセスを完了させ、以後は国連タジキスタン和平構築事務所(UNTOP)が復興を支援している。
文化
タジキスタンの文化は、ウズベキスタンの文化と同根である。しかし、共産政権下においては、地域の文化組織は崩壊し、ウズベキスタンの文化とは分断された。しかし、これは全て悪い方向にいったわけではなく、ソビエト時代には、タジキスタンは劇場と有名な小説家を輩出することにより知られていた。これらの人々は、タジク語とアラビア語・ペルシャ語との関連性を調節し、タジク語をより洗練されたものにした。
タジキスタンの国民の多くはイスラム教徒であり、イスラム教の影響は強まってきている。また、歴史的にペルシャとの結ぶ付きが強く、イブン=スィーナーなどのペルシャ人は尊敬されている。
地理
国土のほとんどは山岳地帯で、中国との国境に至る東部はパミール高原の一部。北部のフェルガナ盆地では、ウズベキスタン、キルギスタンと入り組んで国境を接している。
おもな民族はタジク人、ウズベク人、ロシア人など。タジク人の話すタジク語はペルシア語に近く、民族的にはイランに近いと考えられるが、タジク人を含めたタジキスタンのムスリム(イスラム教徒)の間ではスンナ派が多数を占め、イランと同じシーア派の十二イマーム派はごく少数である。東部のパミール高原ではイスマーイール派の信徒が少なくない。
行政区分
首都はドゥシャンベ。地方は、南部のハトロン州(州都クルガン・テュベ)、北部フェルガナ盆地方面のソグド州(州都ホジェンド)の2州と、東部パミール高原のゴルノ・バダフシャン自治州(州都ホローグ)に分けられる。
その他の主要都市は、パンジャケント、ガルムなどがある。
