サンクトペテルブルク
Keywords: サンクトペテルブルク, 1703年, 1914年, 1924年, 1939年, 1940年, 1990年
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サンクトペテルブルク(ロシア語:Санкт-Петербург (Sankt-Peterburg))は、ロシアの都市。
かつてのロシア帝国の首都。ソ連時代はレニングラードと言われた。
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地理
規模
モスクワと並ぶロシアの大都市で、連邦市としてロシア連邦を構成する89連邦構成主体のひとつとなっている。人口は約470万人で、モスクワにつぐロシア第2の都市。
概要
2003年5月29日には、300周年記念として様々な祭典が催された。
運河をたたえた美しい町であり、北のヴェネツィアと称されることもある。
ロシア文学において重要な位置を占め、プーシキン、ゴーゴリ、ドストエフスキー他、多くの文学作品の舞台となっている。
エルミタージュ美術館、冬宮殿、エカテリーナ宮殿、アレクサンドル・ネフスキー修道院等の歴史地区は、1990年に世界遺産(サンクト・ペテルブルグ歴史地区と関連建造物群)に登録されている。
歴史
名前の変遷
都市の名は「聖ペテロの街(建都を命じたピョートル大帝(ラテン語でペテロ)が自分と同名の聖人ペテロの名にちなんで付けた)」を意味する。
当初はオランダ語風にサンクト・ピーテルブルフと呼ばれ、後にドイツ語風に「サンクト・ペテルブルク」と呼ばれ、ロシア帝国の首都として長く定着していた。
第一次世界大戦でロシアがドイツと戦争状態に入ってからロシア語風にペトログラード(1914年から)と改められ、さらにソビエト連邦時代にはレーニンにちなんでレニングラード(1924年から)と改称され、この名称が半世紀続いた。
しかしソ連崩壊を受けて、1991年にロシア帝国時代の現在の名称に再び戻った。ロシア人の間ではピーチェルの愛称で呼ばれる。
都市の歴史
ピョートル大帝によって1703年5月27日(グレゴリオ暦。当時のロシアで使われていたユリウス暦では5月13日)に築かれた人工都市であり、モスクワとサンクトペテルブルクは母性と父性として対比されることもある。
スウェーデンから奪取したバルト海・フィンランド湾沿岸に新都として造営された。建造作業は過酷なもので、多くの人命が失われた。その数は1万とも言われる。
ロシア革命では二月革命・十月革命の2つの革命の中心地となり、武装蜂起によるボリシェヴィキの政権奪取やレーニンによる憲法制定会議の解散が起こった。その後、ソヴィエト政権は首都をモスクワに移転し、1922年に正式に定められたことで、レニングラードと改称されたこの町は政治の中心地から外れた。
ロシア・フィンランドの国境に近い為、スターリンはフィンランドに対して「大砲の射程内の地域」の割譲を要求したが、フィンランドはこれを拒み、1939年の冬戦争が起った。フィンランドは善戦したが、結局翌1940年、当該地域の割譲で講和がなされ、この戦争が中立的であったフィンランドの枢軸陣営参加を招いた。第二次世界大戦中は、フィンランド、ドイツ両軍を基幹とする枢軸軍によって約400日にわたる包囲を受けた(レニングラード包囲戦)が、凍結した湖から細々と物資輸送を行うなどして耐抜いた。
戦後もレニングラードはソビエト第2の都市として存在したが、その歴史的経緯からモスクワとは違った文化や風土を維持した。また、レニングラードの共産党第一書記になることは、ソビエト体制の中で重要な位置を占めることと同義であり、クレムリンでの権力ゲームでも影響力を持つことになった。
主な出身者
- ウラジーミル・プーチン(ロシア大統領)
近郊の都市
- クロンシュタット
- シュリッセリブルク
- ヴィボルク(ヴィープリ)
- ペテルゴフ(ペーターホーフ)
関連項目
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