オランダの歴史

Keywords: オランダの歴史, 80年戦争, アムステルダム, イギリス東インド会社, インドネシア, ウィリアム3世 (イングランド王), ウェストファリア条約, オラニエ-ナッサウ家, オランジュ, オランダ

オランダの歴史は北ヨーロッパネーデルラントオランダ)王国の域内で展開した歴史である。オランダは日本語での特殊な用語であるので、以下の本文では主にネーデルラントの語を用いることにする。

目次

前史

古代のネーデルラント(低地地方)はライン川下流以南がローマ帝国領、以北はフランク人やフリジア(フリースラント)人などが住むゲルマン系諸族の土地であった。やがてフランク人がローマ領内に浸透してフランク王国を樹立、ネーデルラントはフランク王国の一部となった。この頃にキリスト教化が進展した。9世紀ヴァイキングの襲撃でカロリング朝が解体するなかで、ホーラント伯、ゼーラント伯、エノー伯、ヘルデルラント伯などが自立し、やがて神聖ローマ帝国の宗主権下に入った。15世紀になるとブルゴーニュ公フィリプ善良公がこれらの伯領を手に入れ、ネーデルラント一帯はブルゴーニュ公国の一部となる。この頃のネーデルラントは毛織物生産により経済的先進地となり、ヘント(ガン)、アントウェルペン(アントワープ)などの富裕な都市を生みだしている。しかし1477年シャルル大胆公が急に戦死すると、ひとり娘のマリーはオーストリアのマクシミリアンと結婚していたため、ネーデルラント地域は神聖ローマ皇帝を世襲するハプスブルグ家の所領となった。

神聖ローマ皇帝カール5世はネーデルラント17州すべての主権者として専制政治を行い、カール5世退位後ハプスブルグ領がオーストリアとスペインに分割されると、ネーデルラントはスペインの支配下に入った。当時、ネーデルラントではプロテスタントのカルヴァン派などが広まっていたが、カトリックのスペイン王フェリペ2世は厳しい異端審問を実施してプロテスタントを弾圧した。このためネーデルラント諸州は1568年有力貴族オラニエ公ウィレム(ヴィレム1世)を先頭にスペインに対する大反乱を起こした。オランダ独立戦争80年戦争)の開始である。南部ネーデルラントはスペインの軍門に屈したが、北部7州は1579年ユトレヒト同盟を結成して結束を固めた。この同盟体は1588年ネーデルラント連邦共和国の樹立を宣言する。

ネーデルラント連邦共和国

共和国が成立してもスペインとの戦争は終わらなかった。ネーデルラント諸州は1602年連合東インド会社(オランダ東インド会社)を設立してアジアに進出し、ポルトガルから香料貿易を奪取して、世界の海に覇権を称えた。このため貿易の富がアムステルダムに流入して、17世紀の共和国は黄金時代を迎えることとなる。1609年にはスペインとの12年停戦協定が結ばれ、1621年に停戦が終わると、独立戦争はヨーロッパ全体を巻き込んだ三十年戦争にもつれ込んだ。1648年、30年戦争を終結させたウェストファリア条約の一部であるミュンスター条約でスペインはネーデルラント連邦共和国の独立を正式に承認し、80年にわたる独立戦争は終結した。

オランダ東インド会社は、アジアだけでなく南北アメリカにも植民地を築いた。しかし各地の植民地でイギリス東インド会社と衝突し、ついには3次にわたる英蘭戦争となり、次第にイギリスより劣勢に立つことになった。1688年イギリスで名誉革命が起こると共和国統領であるウィレムがウィリアム3世として、妻メアリー2世とともにイギリスの共同統治者となり、イギリスとネーデルラントは1702年までの20年余、ともに同じ元首を頂くことになった。18世紀始めに勃発したスペイン継承戦争ではネーデルラントはフランス・スペインを相手にイギリスとともに戦った。しかし18世紀末葉になるとフランスの啓蒙思想が共和国にも流入し、共和国統領を代々世襲するオラニエ家に対する反感が高まった。

フランスの支配

フランス革命が起こると、フランス革命軍は1793年ネーデルラント一帯を占領し、地元の革命派にバタビア共和国を樹立させたが、ナポレオンが皇帝に即位すると1806年その弟のルイ・ポナパルトにネーデルラント(オランダ)王国を立てさせた。しかしルイはナポレオンの命令を聞かなかったので、1810年ナポレオン皇帝は王国を廃止してフランス帝国の直轄領とし、総督ルブランがアムステルダムに駐在した。この混乱のなかで東インド会社は解散し、東インド植民地(インドネシア)はフランスと敵対するイギリスが一時占領(1811年~1816年)した。

ネーデルラント王国

1813年ナポレオン帝国が崩壊すると、イギリスに亡命していたオラニエ家が復帰し、ウィレム1世が即位して南部ネーデルラント(ベルギー)を含む王国を樹立した。これが現在まで続く「オランダ」王国の始まりである。ただベルギーは1830年に分離独立した。1890年ウィレム3世が死去すると、後継女王幼少のため母后のエンマが摂政となり、1898年にはウィルヘルミナ女王が18歳で正式に即位した。ウィルヘルミナ女王の統治は50年にわたって続くことになる。

第一次世界大戦ではネーデルラント王国は中立を維持したが、第二次世界大戦では中立宣言にもかかわらず、ナチス・ドイツに占領された。このためウィルヘルミナ女王の政府はイギリスに亡命している。また1941年太平洋戦争が勃発すると東インド植民地(インドネシア)は日本軍に占領され、軍人だけでなく在留民間人も収容所に入れられた。1945年日本の降伏後スカルノら現地の独立派は独立を宣言し、インドネシア独立戦争(1945年~1949年)となった。本国では1948年ウィルヘルミナ女王が退位してユリアナ女王が即位し、1980年には現ベアトリクス女王が即位している。

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