アレクサンドリア
Keywords: アレクサンドリア, 16世紀, 19世紀, 1世紀, 4世紀, 641年, アフガニスタン, アラビア科学, アラビア語, アラブ人
アレクサンドリアは、マケドニア王フィリッポス2世の子アレクサンドロス3世、すなわちアレクサンドロス大王が、その遠征行の途上で、オリエントの各地に自分の名を付けて建設したギリシャ風の都市のそれぞれを指す。ギリシャ語ではアレクサンドレウス(Αλεξανδρεύς)という。アレクサンドリア・オクシアナに比定されるアフガニスタンのアイ・ハヌム遺跡などがよく知られているが、最も有名なものはエジプト北部、ナイル川デルタの北西端に建設されたアレクサンドリアで、現在も英語など多くの言語でアレクサンドリアと呼ばれ、現地語であるアラビア語でも「アレクサンドロス(アラビア語でイスカンダル)の町」を意味するアル=イスカンダリーヤの名が使われている。
エジプトのアレクサンドリアのほか、現存する主なアレクサンドリアには次のものがあげられる。
エジプトのアレクサンドリア、すなわちアル=イスカンダリーヤ(الاسكندرية al-Iskandarīya)は、カイロに次ぐエジプト第二の都市である。
「地中海の花嫁」とも呼ばれる港町アレクサンドリアは、猥雑でアラブ色が濃く香辛料の臭いが漂ってくるような典型的なイスラム都市カイロとは大きく異なった雰囲気をもっており、街中には英語の看板も多く、大きなサッカー場もある。歴史的経緯からか、多くの文化的な要素を合わせ持ち、イスラーム圏の国、アラブの国であるとは思えないような独特かつ開放的でコスモポリタン、そこはかとない欧米的な雰囲気が漂う国際観光・商業都市である。国際機関も置かれ、世界保健機関の東地中海方面本部がある。
歴史
エジプトのアレクサンドリアは紀元前332年に建設された。アレクサンドロスの死後は、その部下だったプトレマイオスがエジプトを支配し、古代エジプト最後の王朝であるプトレマイオス朝の都として発展した。一時は人口100万人を超えたともいわれ、そのため「世界の結び目」と呼ばれた。
古代のアレクサンドリアは世界の七不思議の一つに数えられる巨大なファロス島の大灯台(現カーイト・ベイの要塞)や、各地から詩人や学者たちが集まってきた学術研究所ムーセイオン、文学・歴史・地理学・数学・天文学・医学など世界中のあらゆる分野の書物を集め、70万冊の蔵書を誇りながらも歴史の闇に忽然と消えたアレクサンドリア大図書館があり、ヘレニズム時代の商業(地中海貿易)と文化の中心地として栄え、「幾何学原論」で知られる数学者のエウクレイデスや、地球の大きさを正確にはかったアレクサンドリア図書館長エラトステネスなどが活躍した。1世紀には世界最大のディアスポラを擁し、哲学者フィロンらが活躍した。またキリスト教の初期から重要な拠点であり、古代神学の中心地のひとつともなった。ローマ・コンスタンティノープル・アンティオキア・イェルサレムとともに、カトリック五本山にはいる。
4世紀以降は東ローマ帝国(ビザンティン帝国)により支配される。この時期、アレクサンドリア学派と呼ばれる神学者たちが活躍した。641年にはアラブ人により陥落させられ、イスラム世界に組み込まれた。
アラブ時代には当初東ローマ帝国から切り離されたために経済的に沈滞したが学芸の都として性格は残りつづけ、アラビア科学揺籃の地のひとつとなった。やがて紅海からカイロを経てアレクサンドリアにもたらされたインドの香辛料を求めてヴェネツィアなどイタリア半島の諸都市から商人が訪れるようになると、地中海交易の重要拠点として再び経済的に繁栄した。16世紀にヨーロッパ諸国がアフリカ回りのインド洋航路を開拓するとイタリア諸都市とともに再び衰えを見せ始めるが、19世紀にムハンマド・アリーの近代化改革の一環として輸出商品としてナイル・デルタで綿花が大々的に栽培されるようになるとその積み出し港となり、国際貿易都市としてみたび繁栄を始める。
現在ではエジプト・アラブ共和国の工業や経済の中心地、そして化学産業などが進出し、エジプト屈指の工業都市として発展を続けている。
観光
- アブールアッバース・モスク
- アレクサンドリアで最も有名なモスク。
- カーイト・ベイの要塞
- マムルーク朝のカーイト・ベイが建造した要塞。世界の七不思議の一つに数えられた、巨大なファロス島の大灯台があった所である。
関連項目
- アレクサンドリア図書館
- アレクサンドリア学派
- マスカット・オブ・アレクサンドリア - 通称マスカット、エジプト原産のブドウの品種で、透き通るような黄緑色で、香り豊かな独特の風味をもつ。エジプトでは少なくとも紀元前3000年頃には栽培されていたと言われている。
