アタリショック

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アタリショックとは、広義ではゲームソフトの供給過剰や粗製濫造によりゲームに対するユーザーの興味が急速に薄れ、一気に市場需要がしぼむことを言う。

狭義では1982年のアメリカ年末商戦で発生した家庭用ゲーム機の売上不振「Video game crash of 1983」を指し、ゲーム業界では、歴史上の1929年10月29日“Black Thursday(暗黒の木曜日)”に準えて恐れられている。

目次

事象

1977年にアメリカで発売されたテレビゲーム機「アタリVCS」は、それまでゲーム機のハードウェアに内蔵されていたゲームソフトのプログラムROMをカートリッジにおさめて外部から供給できるようにし、これが爆発的な人気を博した。 また、アタリ社は同ゲーム機のプログラム仕様を広く公開し、基本的に何処の誰でも・自由に・アタリ社に関係無く、同機で動作するソフトウェアを開発・販売する事が可能であった。

しかしゲーム市場の急激な拡大に釣られて多数のメーカーが参入した市場には、非常に質の低いソフトまでもが溢れかえり、ユーザーは「買って自宅のVCSに挿し込むまで、本当に面白いかどうか判らない」ような状況下で、市場に溢れ返った粗悪なゲーム(日本でいうクソゲーに相当)に幻滅し、次第に興味を失って行った。

またこの一方で、弱小のゲームを製造・販売していた製作会社が勃興を繰り返し、その新陳代謝の中では「開発企業の倒産」・「在庫の捨て値処分」・「市場にそれらが流れて、ゲームソフト定価ラインの崩壊」といった現象も多発していた。これにより、全般的に安価な倒産流れのソフトの販売価格との比較から、消費者側に新作ソフトの販売価格に疑問を持つ傾向も強まったと見られている。

こうして迎えた1982年のクリスマス商戦では、一時30億ドルにもなった市場規模を見越して流通・販売側は強気な在庫確保に奔走したが、ユーザーから見た実際のアタリVCS市場は完全に崩壊しきっており、実際の市場は1億ドル未満にしぼんでしまっていた。

この結果、小売店の多くは不良在庫のゲームソフトを大量に抱えて、中には年が明けた1983年に倒産を余儀なくされた小売店も続出した。そしてこの後、後述のアメリカ版ファミコンNESが発売されるまで、アメリカゲーム市場は冬の時代を迎える。

これが今日云われている「アタリショック=Video game crash of 1983」の概要である。なお、この名称は「ニクソン・ショック」に由来するといわれている。

追加分析

なお、一部では既に時代遅れに成ったVCS本体の陳腐化と、低価格なパソコンが市場に出まわり始め、そちらにヘビーゲーマー層が移行して行った結果、市場が空洞化した事も要因の一つであると見る説も上がっている。

“ニンテンドー”の隆盛

日本のゲーム機メーカー各社も同様のビジネスモデルを実施していたが、後発であった任天堂は、このアタリショックの再来を大変警戒し、ファミリーコンピュータ(NES)による市場参入と他社へのライセンス供与に当たっては、品質管理の名目でROMカートリッジ生産を一手に引き受ける代わりに、開発側に強い発言権と影響力を持つ体制で臨み、この結果、無秩序な市場拡大を押さえ込んだ任天堂が歩んだ道は、今日よく知られるシェアの広さに現れている。

また、日本におけるこの市場を守るために任天堂は、非ライセンスソフトの撲滅を実行した。そのときの任天堂の方針が、当時の日本家庭用ゲーム業界の自主規制に大きな影響を与えるようになった。詳細は、任天堂の項を参照のこと。

“ニンテンドー”の衰退と苦境

1993年に、任天堂との家庭用ゲームの共同開発の交渉が決裂したソニーは、1994年に、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCEI)を立ち上げ、プレイステーションを発売した。各大手家電メーカーの参入も多かったこの時代に、新規参入組であったソニーブランドは、今までのメーカーが行わなかった、TVなどを用いた大々的な宣伝や、新規参入を促進するための規制の緩和などで、大手有力ゲームメーカーサードパーティー参加を促し、すぐになくなるであろう大方の予想を覆した。

スクウェア(現スクウェア・エニックス)のファイナルファンタジーシリーズの最新作のファイナルファンタジーVIIをもって、サードパーティー参加を発表したことや、エニックス(同)のドラゴンクエストシリーズの最新作のドラゴンクエストVIIのプレイステーションへの販売が、現在の地位関係を決定付けた。

しかし、SCEIが行った、新規参入を促進するための規制の緩和により、十分な品質チェックが行われていないために粗悪作品の濫造を招き、相対的なゲームソフトの品質が落ちた。このことは、ユーザーのゲーム離れにつながる要因となったことも否定できない。

また、任天堂も、厳しいライセンス制度やメディアとしてのROMカートリッジへの執着のために必然的にソフトの価格が高騰することからサードパーティーが離れてしまい、慢性的なソフト不足に悩まされた。

そんな任天堂も、松下電器産業との共同開発で誕生させた、次世代機のニンテンドーゲームキューブをもって、ROMカートリッジへの執着はある程度解消された。それでも、PS2などで主流(濫造気味になっている)になっているゲームバランスの悪い作品により、家庭用ゲームソフト全体の質を大きく下げたという現実に悩まされている任天堂が、今一歩態度を変えきれないことが、サードパーティーの集まりの悪さの要因の1つとなっているのも事実である。

日本の家庭用ゲームの現状(倫理基準の点)

世論の要求や、海外市場の動向に連動する形で、コンピュータソフトウェア倫理機構(ソフ倫)とは独立した、社団法人コンピュータエンターテインメント協会(CESA)の関連団体として2002年7月に、米ESRBを模範とし、コンピュータエンターテインメントレーティング機構(Computer Entertainment Rating Organization、略称:CERO)を設立し、家庭用ゲーム機の独自倫理基準を創設した。しかし、規則を時代遅れにしないためとはいえ、基準の細則を非公開にしているために、ソフトメーカーにとっては、どこまでがOKであるかわかりにくいという問題点もある。(基準作り段階において、任天堂やその傘下を締め出し、SCEとその傘下が密室で進めたという説もある)

事実、CERO基準において、性的描写は厳しく設定されているものの、暴力的な表現、反社会的な物、ひいては犯罪的な内容などの基準においては、比較的ゆるい設定となっている。そして、公道レースゲームや飛行機シミュレーターやパチスロのシミュレーターなど、犯罪や非行の引き金にもなる可能性のあるゲームについて何も規制されないことも問題と、コメントをしている団体もある。その影響か、任天堂などのように、日本国内市場向けにのみ、18歳以上推奨のソフトを発売しないところもある。

日本の家庭用ゲームの現状(日本版アタリショックの可能性の点)

CERO基準は、あくまで表現の基準であって、品質の基準でないため、品質チェック(QC,デバックなど)は、ハードメーカーの自主規制が現状である。規制緩和措置を取り続けているSCEIにおいては、甘い傾向があるのは現状である。

そして、王者ソニーも2004年第1・2四半期業績発表の時、ゲーム部門は連続で赤字と発表した。そして、ソニーが2005年1月20日に、2005年3月期の連結業績見通し (米国会計基準) を下方修正した。

とはいえ、2005年2月現在、任天堂も今の状況をすぐに打開できる状況ではないし、Microsoftも日本をはじめとしたアジア市場において苦戦を強いられている。オンラインゲームにおいても、ユーザーの取り合いによる過度の競争にさらされてきた。

これらの要因が、即座に日本版アタリショックを引き起こす原因になるのかどうかは、現在のところ判断できない。

しかし、このような事態に対した改善の兆しがいまだに見られないため、今後も危険因子はなくならないであろう。

外部リンク

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