貨幣

Keywords: 貨幣, 1765年, 1871年, 1882年, 1885年, 1897年, 1930年, 1931年, 1942年, 1999年

貨幣かへい)とは、「価値の尺度」「交換の媒介」「価値の保存」の機能を持ったモノである。本来貨幣とは本位貨幣(本位金、銀貨)を指す言葉であったが、現在では狭義には、補助貨幣としての硬貨を指し、広義には紙幣及び銀行券を含む通貨の意味がある。

目次

貨幣の法的な意義

通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律(昭和六十二年六月一日法律第四十二号)によれば、「通貨とは、貨幣及び日本銀行法 (平成九年法律第八十九号)第四十六条第一項 の規定により日本銀行が発行する銀行券をいう。」(同法2条3項) とされ、また「貨幣の種類は、五百円、百円、五十円、十円、五円及び一円の六種類とする。」(同法5条1項)と規定される。また、同法附則により貨幣とみなす臨時補助貨幣としてのいわゆる記念硬貨が規定されている。 この法律の施行により、明治時代から発行されていた本位貨幣の一円、二円、五円、十円、二十円の旧金貨(それぞれ額面の二倍に通用)と五円、十円、二十円の新金貨は五月三十一日限りで廃止になり、名実ともに管理通貨制度に移行した。

したがって、現在の日本の法律上の貨幣とは、昭和23年以降に発行された五円硬貨、昭和26年以降の十円硬貨、昭和30年以降の一円硬貨と五十円硬貨、昭和32年以降の百円硬貨、昭和57年以降の五百円硬貨と、昭和39年以降記念のために発行された千円硬貨、五千円硬貨、一万円硬貨、五万円硬貨、十万円硬貨を指す。

なお、貨幣をみだりに損傷・鋳潰しすると、一年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処せられる(貨幣損傷等取締法)。

貨幣の機能

貨幣の重要な機能として、次の 3 つが挙げられる。 これらの機能は資本主義経済の成立において極めて本質的な役割を果たしている。

貨幣の価値は何に由来するか

「貨幣の価値」は「貨幣のモノとしての価値」とは異なる。例えば、モノとしての千円札は単なる印刷物でしかない。物々交換の社会において「千円札」の商品価値は「千円で売られているランチ」の商品価値に及ぶはずもない。つまり、貨幣の価値は、貨幣として用いられるモノの価値から本質的に分離されているのである。

貨幣(として用いられるモノ)が額面通りの価値を持つためには、その貨幣に信用があることが必要かつ十分である。自分の他にも「この貨幣には額面通りの価値がある」と信じる者がいなければ、その貨幣が取引の媒介として流通することはない。また、あるモノの価値を信じる人が複数いれば、そのモノは彼らの間で貨幣として流通することができる。

このため、国家は流通の安定のために法律によって強制的に通貨に通用力をもたせている。これを特に法貨・信用貨幣という。

貨幣の歴史

起源

 物々交換が盛んに行われるようになると物資の交換に伴う不便が生じるため不便を取り除くため交換の媒介物として物品貨幣(自然貨幣)が用いられるようになった。これが原始貨幣と呼ばれるもので、日常的に良く使うものが利用された。代表的なものに貝類(古代中国、オセアニア)、石類(オセアニア)、穀物や布(日本)等がある。貝・羽毛・べっ甲・鯨歯など装飾品や儀礼的呪術的なものも見られるが、その背景に宗教的意義を持つ場合が少なくない。

 時代が下ると、など貴金属が貨幣として使われるようになった。世界初の鋳造貨幣は紀元前7世紀にリディア王国で作られた。また、中国では原始貨幣をかたどった鋳造貨幣が作られた(貝貨・刀貨・布貨)。金属は保存性・等質性・分割性・運搬性など貨幣としての必要な条件をよく満たしていることが普及につながった。なお、世界初の紙幣代に鉄銭の預り証として発行され利用されるようになった「交子」である。

古代

 日本での最初の官銭は708年から鋳造された和同開珎である。(和同開珎には、銀貨と銅貨がある。)和同開珎は唐から輸入して使われていた開元通宝をモデルにして作られたといわれる。なお、1999年1月19日奈良県明日香村富本銭が数十点発見され、奈良国立文化財研究所は日本最古の貨幣の可能性があると発表している。以前は富本銭は貨幣としては使われておらず厭勝銭(まじない用の銭)だと考えられていたが、その考えに一石を投じる見解となった。

奈良時代から平安時代初期の708年から963年までに、和同開珎から乾元大宝までの12種類の銅貨が発行された。朝廷が発行したことから皇朝十二銭と呼ばれている。原材料の銅の不足と、改鋳益を得るため、改鋳の度に目方と質が落ちた新貨を旧貨の10倍の価値で通用させようとしたことが貨幣の価値や信用を大きく低下させ、民衆の銭離れを引き起こしてしまった。(765年神功開宝の発行の際は、旧貨である萬年通宝と同価での並行通用であった。)

中世

皇朝十二銭以降、朝廷は貨幣の発行をしなくなったが、平安時代中期から戦国時代までは、中国との貿易を通じて流入した北宋南宋の貨幣や永楽通宝などがそのまま自国の貨幣として通用することになった。輸入銭だけでは足りなかったため、豪族や大商人が発行した私鋳銭も流通したが、粗悪な出来だったため「鐚銭(びたせん)」と呼ばれて区別された。「ビタ1文受け取らない」のビタとは鐚銭のことである。戦国時代に入ると、金山銀山の開発もあり金銀貨が戦国大名により鋳造されるようになった。

近世

江戸時代になると貨幣制度が統一され、幕府が貨幣発行益を独占して金貨小判・分金)・銀貨銅貨(銭貨)の三貨を鋳造し、全国通用の正貨とした。(貨幣を発行した場所をそれぞれ金座、銀座、銭座と呼んだ。)金貨・銭貨は計数貨幣(額面価値と枚数で価値を決める貨幣)であったが、18世紀半ばまで銀貨は丁銀豆板銀といった秤量貨幣(重さで価値を決める貨幣)であった。1765年以降、計数貨幣としての銀貨と併用されることとなる。

江戸では金貨が流通する「金遣い(きんづかい)」であったのに対して、上方(大坂)では主として銀貨が流通する「銀遣い(ぎんづかい)」であった。江戸と上方を中心とする交易上の理由と、金貨・銭貨(計数貨幣)と銀貨(秤量貨幣)の特徴の違いから、日常的に三貨の間で両替が必要であった。公定相場として金1両=銀50匁=銭4貫文(4,000文)(1609年制定、1700年には金1両=銀60匁に改定)があったが、実際には相場は変動相場制で高度な経済活動が行われていた。幕府貨幣の三貨の他にも貨幣として流通し、大名領国では藩札と呼ばれる紙幣も発行されていた。

明治以降

明治政府により藩札処分令が1871年(明治4年)に発せられ、藩札は廃止された。同年2月に現在の造幣局である造幣寮を開設し五月に新貨条例を制定した。このときはじめて円という単位が正式に採用された。1円銀貨のモデルとなったのは、19世紀に貿易決済用としても国際的に流通していた大型洋銀貨(貿易銀貨)で、特に幕末期日本にも流入していたメキシコ8リアル銀貨である。7月に紙幣司(現在の国立印刷局)が設けられ、政府紙幣を製造した後、国立銀行紙幣・日本銀行券などの製造にあたった。1882年日本銀行が創設され1885年に最初の日本銀行券が発行された。

1897年に日清戦争の軍事賠償金を準備金に設定して、紙幣の価値を金と交換できることで保障した金本位制が実施された。第一次世界大戦の影響を受けて一時金本位制から離脱したが、1930年(昭和5年)1月に世界の体制に習って復帰した。その金解禁も束の間、世界恐慌のために1931年12月に金輸出再禁止が実施され、日本銀行券の金兌換券は停止された。その結果金本位制度から管理通貨制度へ移行し1942年2月制定の日本銀行法により著しく弾力的な管理通貨制度が採用されることになった。

1950年代にアメリカでクレジットカードによる決済が始まり、日本では1960年代から同様のサービスが始まった。貨幣を介せず取引を行う時代が到来し、現在のアメリカでは高額紙幣の信用がクレジットカードに劣るほどである。 ただし、クレジットカードはカード番号の不正利用など問題点がないわけではなく、このような欠点を克服するものとして電子マネーが出現するに至っている。

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